持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

日本語−書く

和文英訳再考(その2)

和文英訳の利点 和文英訳にも利点がある。まずは消極的な利点から挙げていく。中尾(1991)はクラスの生徒数が10〜15人程度までであれば自由英作文の授業が可能であり、それを超えるクラスサイズでは教師の添削の負担が大きく現実的でないことを指摘している。…

「作文」と「小論文」

「小論文とは違う作文」とは何か 受験小論文の世界では、「小論文は作文とは違う」と言われる。では、その「小論文とは違う作文」というのは何を指しているのだろうか。長尾(2001)は広義の作文と狭義の作文を区別している。長尾は広義での作文を作られた文章…

文章にとって文法とは何か(その6)

コンポジションにおける文論 作文指導においては、内容面の指導に重きが置かれて、文法などの形式面について細かく追求しないことが多いように思う。しかし、正確な文を書かなければ、内容を正確に表現することはできない(森岡1963)。ここでいう正確という…

文章にとって文法とは何か(その5)

文法における文論 文論とは、文の構造を扱うものである。しかし、これが問題である。遠藤(1970)は、文論で扱う文の構造とは、主語・述語・修飾語・接続語・独立語などの文の成分であると言う。これが妥当なのかどうかが問題なのである。文の成分という考え方…

文章にとって文法とは何か(その4)

文法における文章論(続き) 文法における文章論は文章の表現の展開を分析するところから始まった。この場合、句や文の接続部分に着目することになる。形式面で言えば、連用中止法による接続法、接続助詞や接続詞を用いる場合、副詞や指示語の用法などが問題…

文章にとって文法とは何か(その3)

文法における文章論 文章を日本語の文法研究の対象としたのは時枝誠記が最初である。時枝(1950)は、文の集合が決して文章にならないことは明らかであるとし、文章が文章として成立するための法則を明らかにすることが、文法研究における文章論の目的であると…

文章にとって文法とは何か(その2)

文法の範囲 文章表現、あるいは文章理解のための文法の範囲とは、どのように設定すればよいだろうか。時枝(1960)は当時の文法軽視の風潮に対して、文法が国語の読解・作文に役立たないのは、文法自体に問題があるのではなく、文法教育をもっぱら単語論に終始…

文章にとって文法とは何か(その1)

文法の目的・効果 白石(編)(1972)では、文法の目的・効果として、次の5点を挙げている。 文法によって話が正しくでき、文章が正しく書けるようになる。 人の話がよくわかり、文章の意味が正確に読み取れるようになる。 国語の法則的な事実のだいじなもの…

文章におけるレトリックとは何か(その11)

修辞 レトリックの第3の要素は「修辞」である。レトリックがこの修辞と同義と捉えられることが多いが、これは弁論術としてのレトリック全体からみればその一部でしかない(澤田1977)。しかも、修辞は美文を追求することに留まらない。場面や文脈に最適な言…

文章におけるレトリックとは何か(その10)

構造的段落*1 いくつかの文が集まると段落となる。しかし、単に文を集めればよいというわけではない。松本(1993)は、タバコを吸うときに改行するのだと言った日本人作家の話を引き合いに出している。これは、日本語の文章表現や文章理解において段落という単…

文章におけるレトリックとは何か(その9)

配列 書く内容が決まってくると、どのように書くのかということもある程度決まってくる。逆に言えば、「こういう文章を書こう」と思っていても、内容がそれに伴わなければ、当初想定していたような文章にはならないことになる。澤田(1977)は、配列の方法とし…

文章におけるレトリックとは何か(その8)

醗酵させる知恵 資料集めさえすれば、書くべき文章の内容が決まるというわけではない。断片的な知識であったものが、自分の考えとして形にするプロセスを経なければならない。板坂(1973)はこれを「醗酵させる」と呼んでいる。知り得た知識を関連するもの同士…

文章におけるレトリックとは何か(その7)

構想(続き) レトリックの「構想」とは、論文を書く場合の「トピックを選び出す」「資料を集め批判する」「仮アウトライン」をつくるという過程に対応する(澤田1977)。「トピックを選び出す」ということに関して、澤田は「問題の場」と「問題(=トピック…

文章におけるレトリックとは何か(その6)

古典レトリックの5要素 弁論術としての古典レトリックには5つの構成要素があるとされている(澤田1977)。5つの構成要素とは、「構想」「配列」「修辞」「記憶」「発声・所作」である。これらはラテン語からの訳語で、日本語の用語は何通りかある。このあた…

文章におけるレトリックとは何か(その5)

目的の把握 小林(1954)は、理想的な文章とは何かという問いについて、旧修辞学と近代の言語美学との対比を取り上げている。旧修辞学では一定の型が設定され、その型にあてはまった文章が理想的な文章だという。これに対して近代の言語美学では「場の函数」と…

文章におけるレトリックとは何か(その4)

読み手を把握する(つづき) 実際に文章を書く際に読み手を把握するとなると、まず2つの点を認識しなければならない。ひとつは読み手が存在するという事実自体であり、もうひとつはどのような読み手なのかという属性の問題である。読み手が存在すること自体…

文章におけるレトリックとは何か(その3)

文章表現における場面の制約と認識 時枝誠記の言語過程説では、言語の表現や理解は場面の制約を受けるという。この場面という概念は、場所的な概念に加え、理解者や理解者が置かれている状況、そしてもちろん表現者が置かれている状況を含むものである。しか…

文章におけるレトリックとは何か(その2)

ふたつのレトリック 古代ギリシア・ローマの弁論術では、言論の機能は「説明する」「楽しませる」「感動させる」の3つに分けられるという(佐藤1994)。佐藤は、この3分法は2分法の変形であり、「説明すること」と「楽しみを与えること」の2方向から「感…

文章におけるレトリックとは何か(その1)

言語過程説・コミュニケーション能力・レトリック 言語過程説というと詞辞理論の議論に向かうものと考えられがちだが、今回は格関係や陳述の話ではない。ここでは時枝(1941)が取り上げている「言語の存在条件」を問題にしたい。時枝は、言語が「誰(主体)か…

文章における論理とは何か(その5)

文の論理と文章の論理 前回の「日本語の論理」という節で言及した「論理」とは、それまでのところで扱った「論理」とは実は別物である。前者の「論理」は文の論理であり、後者の「論理」は文章の論理である。文の論理とは何か。これは、書き手や話し手が伝え…

文章における論理とは何か(その4)

論理に対する態度 言語活動に際して、なぜ論理的ということが問われるのだろうか。野内(2008)は、日本人がこれまで論理を重んじてこなかったことへの反動ではないかと指摘している。沢田(1962)は「論理」に対する人々の反応は両極端に分かれるという。ひとつ…

文章における論理とは何か(その3)

論理と文章の関係 ロジカルライティングという言い方がある。照屋(2006)など最近の書物でも紹介されている。だが、鳥山(1954)でも、「実証のための資料はできるだけ多方面から選んだ方が読者を納得させ得るが、多方面から選んだ資料相互のあいだに矛盾があっ…

文章における論理とは何か(その2)

説得のための文章(続き) 大熊(1973)は論証の方法として、帰納的推論と演繹的推論に加えて類推法を取り上げている。類推法には説明を分かりやすくするという効果があるが、結論が確実に出る保証はなく、大熊もこのことに対して注意を促している。 書き手が…

文章における論理とは何か(その1)

説得のための文章 文章の目的の1つに、読み手を説得させることがある。読み手を説得させる文章は「論説文」や「論証文」と呼ばれる。論説文とは「ある問題について、主張を、論証的・解説的に述べ、相手を説得しようとする文章」(大熊1973b)であり、論証…

「生活綴方」という発想(その3)

展開記叙と総合記叙 綴方で書く経験的事実とは、過去において直面した事実と、目の前の事実の2つがある。このうち、前者の事実を記叙(記述、叙写)するには、総合記叙と展開記叙の2つが可能であり、後者の事実の記叙は展開記叙となる。総合記叙とは、過去…

「生活綴方」という発想(その2)

「その1」は2年近く前のエントリーになります。 綴方の指導 鈴木(1935)は、子どもに書くのが無理なものを書かせておきながら、綴方が伸びないという教師が多いと言っている。書ける題材から始めなければならないというのだ。題材が難しいと、自分が直接経…

文の長さ(その2)

いろいろな「長さ」 文は短い方が読みやすいが、長ければ長いほど読みにくくなるのかというと、そう単純な比例関係をなすようでもなさそうである。樺島(1967)では次の2つの文の読みにくさについて検討している。 おじさんからおみやげに童話の本をもらった…

文の長さ(その1)

効果的な伝達のために 効果的な伝達のために短い文を用いるという発想は、日本でも戦時中からあったという(扇谷1983)。扇谷によると、当時の軍部が作戦の必要性から、文部省や司法省などとわかりやすい文について協議していたという。明治以来の文語文から…

文章を書くということ③:樺島忠夫の場合(その3)

書かなすぎと、書きすぎの間に 樺島(1973)によると、文章を書き慣れていない人は、自分に分かっていることは省略してしまったり、簡単に書きすぎてしまったりして、他人が読んでも理解できなくなっていることが多いという。このような場合、文が抽象的な言葉…

文章を書くということ②:樺島忠夫の場合(その2)

書く内容のこと 樺島(1983)は、文章に書く内容を見つけようとするには、次の2つを行う必要があると述べている。 何について書くか(題材)を見つける。 題材について、どんなこと(主題・要旨・論旨)を書くかを見つける。 樺島は1.を「問題発見力」と呼ん…