持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

生成文法と文理解②

「変形」と文理解(その1):名詞化変形 安西(1982)や成瀬(1978)などの翻訳理論において、ナイダの理論がよく引き合いに出される*1。翻訳に際しては原文の意味を十分に分析する必要があることから、変形規則を経て生成された原文の表現を逆変形させることに…

国際英語論について少々

母語としての英語と公用語としての英語 世界中で「母語」として英語を使用する人の数は4億人に満たない。しかも北米や「連合王国」には実際には英語を母語としない人も相当数に上るので、統計の取り方によってはもっと少ない数字がはじき出されるかもしれな…

生成文法と文理解①

役に立つのか立たないのか 生成文法が英文の理解の役に立つかどうかについては賛否両論がある。渡部(1988)は生成文法や構造言語学が読解力向上には関与しないと主張し、その理由として研究者がすでに意味を了解している文のみを研究対象にしていることを指摘…

生成文法と英語教育

チョムスキーの沈黙 Chomskyは変形生成文法の英語教育への応用について言及したことは決して多くない。その理由について安井(1973)は次のように分析している。 言語学や心理学が言語教育に具体的提案ができるほどには発達していない。 言語教育は複雑でさま…

認知意味論ベースの学習書

90年代、コミュニケーションのために学校文法を再構築しようという機運が高まっていたが、本書はその先駆けと言える。本書の著者らは80年代から語彙や文法の習得に関する研究を続け、その成果を反映した学習書を次々と生み出し、意欲的な学習者の支持を…

Pedagogical Syntaxを求めて

今日は自分の過去の仕事を振り返ります。 構文主義から認知意味論へ 英語学習の基礎としての統語知識を体系化する作業を、10年前からやっています。もともと私は、19歳とか20歳の頃はバイト先の塾で、『英文読解講座』(高橋善昭著、研究社出版)のよ…

スピーチ・コミュニケーション論から観た英語教育論

「声に出して読みたい日本語」などが流行る今、「声に出す英語」ということを提唱するのが本書。英語の知識を身に付けてからその知識を使う練習をするのではなく、英語を使うことによって英語を身につけていくべきだと主張する。しかしその方法はただひたす…

英文読解指導の基礎知識

本書は英語のリーディングに関する基本概念や80年代までの主要な研究に言及されており、便利な1冊である。また理論面から実践に至るまでバランスよく扱ってあり、教材のサンプルも示されているので、読んだことがすぐに授業に反映しやすいと言える。

英語を読むコミュニケーション

レトリカル・リーディング 訳読かコミュニケーションか、という不毛な二項対立の図式から脱却し、読みもまた広義のコミュニケーション行為に含まれると考えた場合、リーディングを読み手による主体的な行為として捉える必要がある。読み手が主体的に読むとい…

日英比較文章論

説明的文章の基本構造 寺島(1986)は文章を説明的文章と文学作品に大きく二分した上で、説明的文章の基本構造として次のようなモデルを提案している。 前文(Opening) 本文(Main) 序論(Introduction) 本論(Discussion) 結論(Conclusion) 後文(Closi…

高校生が英文解釈本と平行して使えるテキスト

どうしても日本人学習者は英文を読むために文法知識を身に付けることは必要だが、文法知識以外の知識やそうした知識を使って実際に文章を読む練習に使えるのが本書である。実際に私立の学校では指定教材にしているところもあるようなので、英語教師でまだ本…

パラグラフまたは段落について

日本語における「段落」の概念 日本語における「段落」について、市川(1959)は「文段」という用語を使って次のように述べている。 「文段は一般に、形態的には「行かえ」のところで、意味的には一つの内容のまとまりとして把握される。われわれは、行かえの…

文理解から文章理解へ

談話レベルの理解 1文1文の理解はできるようになっても、文章全体で何を言っているのか分からないということはよくある。優れた読み手と未熟な読み手の違いは文レベルではなく談話レベルにあることはよくいわれることである。宮浦(2002)によれば各文の理解…

フレーズリーディングと統語解析

直読直解とフレーズリーディング 「直読直解」という言葉は日本人の英語学習において2つの意味を持つ。 左から右へと英文の流れに沿った理解 和訳をせずに英語からの直接的な理解 このうち2.は訳読式の学習であってもやがて和訳を経ずに理解できるようにな…

英文解釈と統語解析

文法と英文解釈 伊藤(1997)は、品詞論を中心に据える従来の学校文法ではなく、文構造を中心とした文法でなければ英文解釈には役立たないと主張する。実際伊藤はその主張を自らの手による参考書のなかでそれを実現している。しかし知識としての文法をどのよう…

「上から目線」ではない英語教育論

本書の特徴は、欧米の言語習得研究の受け売りではなく、著者自身による教室での実践から生まれた理論であるということに尽きる。文法学習の重要性や国語教育との連携を重視するなど、考えてみれば当たり前なのだがなかなか気付かなかった指摘が随所に見られ…

英文読解の理論的側面を分かりやすく紹介

本書は専門書である。しかし言語学や心理学の心得がなくても読みやすいように書かれている。「読む」とはどういうことか、そのためにはどのような知識や方略が関与するかということを、最近の研究成果を踏まえて簡潔にまとめられている。

あまりにプラクティカルな英語教育論

本書は『英文解釈教室』など著者の参考書の背景にある考え方を英語教師などの受験生以外の読者向けにまとめたもの。予備校の教室から生まれた「理論」とは言え、受験英語以外の英語教育・学習にそのまま当てはまるところも多い。

受験英語における構文主義の原点

今となっては受験参考書として本書を読む人も少ないのかもしれない。だが本書は受験英語におけるいわゆる「構文主義」の原点を切り開いた書であり、学校文法を英文読解のための「読解文法」として再構成することを試みた意欲作でもある。本書の是非は、まず…

訳読からリーディングへ②

読解過程と読解学習過程 文章を理解する際には、単語の認識から文の理解を経てより大きな言語単位の理解につなげていくボトムアップ処理と、背景知識などを駆使し文章の内容を予測し確認していくトップダウン処理が同時にはたらくと考えられている。しかし読…

英語教師必読の書

本書は「コミュニケーション基本図書」3部作の第3巻である。コミュニケーション研究の専門家は言語学や言語教育を専門とする者の盲点をついてくる。逆に言語研究に携わる者には荒削りで大雑把な部分があることも否めないが、教師という立場からすればこう…

受験英語から出発する翻訳論

本書はどうすれば翻訳家になれるとか翻訳がうまくなるかというhow toものではない。しかし翻訳のあり得べき姿を受験英語から出発して議論しているため、非常に読みやすい。ただし学校文法への評価が浅薄であるためそのあたりのところで賛否両論があるようで…

専門的ながら言語学の概説書的な側面も

「詩学」や「文化記号論」と聞くと難解な印象を受けるが、本書は言語学の基本概念を著者独特の平易な文体で説いているため、実際に読んでみるとさほど難しい本ではない感じがしてくる。英語学や英米文学の専攻でヨーロッパの言語理論に不案内な人にもおすす…

訳読からリーディングへ①

今日も訳読について論じていきます。 訳読は本当に訳読だったのか? 文法訳読法は英語ではGrammar Translation Methodという。translationには「翻訳」という訳語が当てられることもある。「訳読」と「翻訳」の違いについてはすでに述べたとおりである。 松…

言語学者による英文解釈本

従来の受験英語のための英文解釈とは微妙に違う。英文を理解するための道具立てとしてしばしば理論言語学の知見が出てくる。訳読の可能性というものをふと考えさせられる1冊である。

一読の価値のある翻訳論

端的に言うと、単なる英文和訳に成り下がっている翻訳を本来の姿に変えていくべきであると論じた本。翻訳に興味がある人はもちろん、外国語を教える立場にある人も読んでみる価値はある。

訳読本流の書

古き良き本格的な訳読を志向する本。やはり機械的な逐語訳ではない訳読を目指している。名文を味わいながら勉強できる今となっては貴重な1冊。

『英文解釈教室』の実践編

これだけ長い文章を訳読することを目的とする参考書はめずらしい。また巻末の「私の訳出法」は従来の一対一の当てはめ方式の訳読から脱却する糸口を与えてくれる。純粋な翻訳論ではないから中途半端な印象もあるが、一般学習者が逐語訳から抜け出す第一歩と…

訳読と意味理解

きょうは、『現代英語教育』誌の記事をレビューしながら、訳読と意味理解について考えていきます。 学力の向上による文法訳読の変容 横山(1998)は文法訳読法の概略を初級・中級・上級の3段階に分けて説明している。 初級:学習者は文法現象を見て確認するた…

コミュニケーション能力と文法学習

コミュニケーション能力 Chomsky(1965)は理想化された言語使用者の言語知識を「言語能力」(linguistic competence)と定義している。この言語能力の概念は、先に取り上げたコミュニケーションの概念と照らし合わせてみれば非現実的であることは明らかである…