持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

英語を読むコミュニケーション

レトリカル・リーディング

訳読かコミュニケーションか、という不毛な二項対立の図式から脱却し、読みもまた広義のコミュニケーション行為に含まれると考えた場合、リーディングを読み手による主体的な行為として捉える必要がある。読み手が主体的に読むという行為に関わるには、読み手は自らの目的に沿って読まなければならない。このように読み手が自ら読みの方向性を規定した上で読みを実践することを、近江(1996)は「レトリカル・リーディング」と呼んでいる。
近江は読み手は文章を読む目的によって読み方を選択する言い、その際に選択しうる読み方として次のようなものを挙げている。

  • 情報取得型読解
  • 批判的読解
  • 鑑賞的読解
  • 批判的味読
  • 特定情報取得型読解

このように考えると、従来の上級者向けの英文解釈は鑑賞を目的としていたのに対し、最近になって日本人学習者も学ぶようになったパラグラフリーディングは基本的に情報取得を目的としていると考えることができる。入試や英検・TOEIC・TOFELなどの試験の対策として読解力を向上させようと考えた場合、情報取得のための読解技術を身に付けることがどうしても必要である。

パラグラフリーディングの必要性

文章を書く目的について近江(1996)は次の3つに分類している。

  • 情報伝達
  • 説得
  • 歓待

天満(1989)はこのうち「歓待」をさらに「娯楽」と「審美」に分けているが、これは端的に言って大衆文学と純文学の区別に相当するもので、外国語教育の教室ではわざわざ分けて考えるほどのものでもない。
読み手の目的は書き手の目的と合致することもあれば合致しないこともある。受験英語は合致しない場合の典型である。パラグラフリーディングが受験の手段として日本に広まった経緯から、スキミングなどの速読のためのスキルと一体化してる感は否めない。また文章の全体構造も入試などで出題の多い説明的文章を中心に取り上げられることが多い。しかし英語を読むことを楽しもうとするならば新聞・雑誌記事や論文だけでなく、小説やエッセイなども読みたいと思うのは自然なことである。
このように考えるとパラグラフリーディングは必ずしも必要はないと思われるかもしれない。しかし文章を細部にわたって読むような場合においても文章の全体的な構造がつかめてなければ正確な理解はできない。この点は訳読の弊害の1つとして知られるところである。つまり訳読や英文解釈という方法で文章と関わるとしても、トップダウンボトムアップの両方の処理を行わなければ正確な理解が得られない以上、パラグラフ単位の理解が必要であるということである。

参考文献

  • 近江誠(1996)『英語コミュニケーションの理論と実際』研究社出版
  • 天満美智子(1989)『英文読解のストラテジー』大修館書店.