訳読からリーディングへ②
読解過程と読解学習過程
文章を理解する際には、単語の認識から文の理解を経てより大きな言語単位の理解につなげていくボトムアップ処理と、背景知識などを駆使し文章の内容を予測し確認していくトップダウン処理が同時にはたらくと考えられている。しかし読解の指導においてはすべてを一度に扱うことは不可能であり、その順序について考えていく必要がある。
寺島(1986)は英語が読めるようになるためには次の4つの段階を経るとしている。
a.文が読める。
b.文章が読める。
c.段落が読める。
d.全体が読める。
このうちbの「文章が読める」の「文章」とはHalliday and Hasanのいう結束性(cohesion)を指している。村杉(2002)は文章を理解する上で用いる読解ストラテジーと文法知識は独立した要素であることを認めつつも、読解ストラテジーはある程度の文法知識を持っていることを前提とすると指摘している。つまり読みの指導の手順としては文文法の知識を学習し文理解ができるようになるところから出発していくことのが適切と考えられ、また訳読中心であった授業から次のステップへ移行させることができるので現場にとっても好都合と言える。ただし寺島は英語の語順に即して左から右へと意味がとれることを上記aの目標に据えており、やはり従来の訳読ののままではなく見直しが必要なことは間違いなさそうである。
訳読から直読直解へ
訳読から直読直解への移行についてはすでに訳文産出の観点からは扱っている。そこで今回は統語処理の観点から見ていく。
受験英語における「英文解釈」の領域で直読直解を唱えたことで知られているのが伊藤和夫である。伊藤はその著書を公刊するにあたって次のような目標を持っていた。
- 英語のsentencesの構造を統一的体系的にとらえ直しその全体像を提示するとともに、できるだけ明快で論理的な解説を加えること
- どんな英文も文頭からスタートし、左から右、上から下へ1度読むだけで、その構造と内容の明確な把握に到達しようとする「直読直解」の読み方とは、何を手がかりにする、どのようなアタマの働きなのかを具体的に示すこと
(伊藤1997a:vii)
しかし後に伊藤(1997b)で自ら認めるように初期の参考書では1.に力点を置きすぎたために2.の理念が忘れ去られ、受験英語の世界に「構文主義」という考え方をもたらすに至った。その後の伊藤の参考書ではこうした反省に立ち次のような転換を試みた。
- 「体系」を隠すこと
- 「構造」よりも「流れ」を重視すること
- 「現場性」の取り込み(入不二1997:14)
こうした転換の試みは当時の予備校の現場(講師・生徒)には単なる幼稚化にしか映らなかったようで、浸透しなかった。しかしこの試みが訳読・英文解釈と直読直解をつなぐものであることは確かであり、ここからスラッシュを使った読みなどに結びつけていく方法を検討する必要があろう。