応用言語学としての受験英語⑤
訳読からリーディングへ
訳読は本当に訳読だったのか?
文法訳読法は英語ではGrammar Translation Methodという。translationには「翻訳」という訳語が当てられることもある。
松本(1993)はリーディングを「送信者が文字に託したメッセージを受信者がいかに正確に解釈するか」ということを基礎にしたコミュニケーション活動であると定義している。この考え方の背景には送信者が「コード」(code)を参照して符号化(encoding)することによって生成された「メッセージ」を受信者が同じコードを用いて「解読」(decoding)することで理解するという伝達モデルがある。
メッセージの解読にはコードを利用することが要請されると考えるならば、文法知識を使って訳読を試みることはリーディングの学習としては有効であるように思われる。しかし現実にはこれがうまく機能していない。「コード」はソシュールの用語で言う「ラング」(langue)に相当する。ラングは社会のなかで共通化されたシニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)との結びつき方の総体である。川本・井上(1997)は訳読では英語テクストのシニフィアンをそのまま日本語テクストのシニフィアンに移し替えているだけでシニフィエにはほとんど関わっていないと指摘している。そしてこうした状況が生じている根本的な原因を松本(1993)は教師も学習者もリーディングをコミュニケーション活動として捉えていないからであると指摘する。つまり訳読はその名に反して訳してはいても読んではいなかったのである。
リーディングに求められる、文法・語彙知識以外の要素
リーディングがコミュニケーション活動である以上、文法や語彙の知識以外にも必要な要素が存在する。コミュニケーション能力の概念に照らし合わせて考えると、文体に関する知識(→社会言語能力)、文脈・文章構造に関する知識(→談話能力)、読むための方法論(→方略能力)などが必要である。また言語に関する知識以外に書かれている内容に関する背景知識の有無が読みの成否を左右することもある。
訳読から直読直解へ
受験英語における「英文解釈」の領域で直読直解を唱えたことで知られているのが伊藤和夫である。伊藤はその著書を公刊するにあたって次のような目標を持っていた。
- 英語のsentencesの構造を統一的体系的にとらえ直しその全体像を提示するとともに、できるだけ明快で論理的な解説を加えること
- どんな英文も文頭からスタートし、左から右、上から下へ1度読むだけで、その構造と内容の明確な把握に到達しようとする「直読直解」の読み方とは、何を手がかりにする、どのようなアタマの働きなのかを具体的に示すこと
(伊藤1997a:vii)
しかし後に伊藤(1997b)で自ら認めるように初期の参考書では1.に力点を置きすぎたために2.の理念が忘れ去られ、受験英語の世界に「構文主義」という考え方をもたらすに至った。その後の伊藤の参考書ではこうした反省に立ち、「体系」を隠すこと、「構造」よりも「流れ」を重視すること、「現場性」の取り込むこと、といった転換を試みた(入不二1997)。この試みは訳読・英文解釈と直読直解をつなぐものであるといえる。
読解過程と読解学習過程
文章を理解する際には、単語の認識から文の理解を経てより大きな言語単位の理解につなげていくボトムアップ処理と、背景知識などを駆使し文章の内容を予測し確認していくトップダウン処理が同時にはたらくと考えられている。しかし読解の指導においてはすべてを一度に扱うことは不可能であり、その順序について考えていく必要がある。
寺島(1986)は英語が読めるようになるためには次の4つの段階を経るとしている。
a.文が読める。
b.文章が読める。
c.段落が読める。
d.全体が読める。
このうちbの「文章が読める」の「文章」とはHalliday and Hasanのいう結束性(cohesion)を指している。村杉(2002)は文章を理解する上で用いる読解ストラテジーと文法知識は独立した要素であることを認めつつも、読解ストラテジーはある程度の文法知識を持っていることを前提とすると指摘している。つまり読みの指導の手順としては文文法の知識を学習し文理解ができるようになるところから出発していくことのが適切と考えられ、また訳読中心であった授業から次のステップへ移行させることができるので現場にとっても好都合と言える。ただし寺島は英語の語順に即して左から右へと意味がとれることを上記aの目標に据えており、やはり従来の訳読ののままではなく見直しが必要なことは間違いなさそうである。
英文解釈と統語解析
伊藤(1997b)は、品詞論を中心に据える従来の学校文法ではなく、文構造を中心とした文法でなければ英文解釈には役立たないと主張する。実際、伊藤はその主張を自らの手による参考書のなかでそれを実現している。しかし知識としての文法をどのように再構成しても、その知識を運用していく道筋を明らかにしなければ意味がない。伊藤は従来の文法が言語を使用する立場に立っていないと批判し、次のように述べている。
「言語は静止状態にあって全体を同時に眺められる線ではない。時の流れと等しい方向に流れる、「方向」を持った線なのであり、言語の使用にあたって、我々はその線に束縛されつつ、みずからも流れることを強制されているのである。」(伊藤1997b:52)
時枝誠記は言語を実践する言語主体の立場である「主体的立場」と、言語を観察し研究する立場である「観察的立場」を明確に区別したが、伊藤はその主体的立場に立った文法を目指したのである。そしてそうした立場に立って伊藤(1987, 1988)を世に問うた。これらの著作は文構造の分析を結果として示すのではなく、文頭から文末に向けて、どのように文法知識を用いながら英文を理解すべきかを示している。
英文解釈とフレーズリーディング
すでに述べたように伊藤は受験英語の英文解釈という枠組みのなかで直読直解の方法論を確立させている。一方こうした英文解釈とは別に、文法的・意味的なまとまりごとにスラッシュ( / )で区切りながらの読む方法も考えられている。この方法は文法的・意味的なまとまり(=phrase)で区切るために「フレーズリーディング」または心理学の用語を用いて「チャンクリーディング」と呼ばれる。通訳訓練法においてはスラッシュを用いた読解技術であることから「スラッシュリーディング」と呼ばれている。
田中(2002)は英文を後ろから前にかえって意味をつなぐことを防ぐために、文頭から意味の単位ごとに区切って読んでいくことを勧めている。また谷口(1992)はフレーズリーディングの利点として、1回の固視で多くの情報を得られる、ストーリーを覚えやすい、ストーリーを思い出しやすい、語やアイデアを推測しやすい、という4点を指摘している。
谷口が指摘しているこの利点は海外の研究から得た知見を利用している。このため1語1語読む場合とフレーズリーディングの場合とを対比して指摘しており、日本人学習者に見られる返り読みを避け直読直解を目指す方法という視点で論じているのではないようである。ここで問題となるのは英文読解を学ぶ上でスラッシュを用いることは、用いない場合と比べて効果的なのか、あるいは単なる好みの問題なのかということである。
この問題に関して高梨・高橋(1987)は、読み手は文章を読む際に視線を同じ速度で右へ右へと移動させているのではなく、固視(fixation)→移動→固視→移動というように飛び跳ねるような移動の仕方をすると指摘している。つまりスラッシュで文をまとまりごとに区切って読むことによって、この固視と移動の繰り返しという読みの眼球運動が可能になるのである。しかし学習者が自力でしかるべき位置にスラッシュを入れて区切れるようになるのはやはり文法知識が必要であるといえる。
直読直解とフレーズリーディング
「直読直解」という言葉は日本人の英語学習において、「左から右へと英文の流れに沿った理解」「和訳をせずに英語からの直接的な理解」という2つの意味を持つ。
現在ではフレーズリーディングの有効性に関しては広く認められるようになっている。しかしその具体的な方法となるといくつかの「流派」のようなものがある。寺島(2002)によれば、この「流派」とは、スラッシュを入れる「切れ目」をどこに求めるべきかということの違いから生じているという。
寺島はSIM方式、RIC方式、桐原方式、茅ヶ崎方式の4つの方式と、寺島らが推進する記号研方式を比較している。比較の詳細は寺島(2002)に譲るが、寺島が明らかにしたのはフレーズリーディングが学習者にとって使えるものなのかどうかは明確で明快な読解文法がその背景にあるかどうかで決まるということである。
しかし、フレーズリーディングにとって必要なことはそれだけではなく、学習者が慣れていくにしたがってより大きな意味のまとまりで切れるような方向付けができるかどうかも重要である。門田・野呂(2001)によれば読解力の向上にともなって知覚スパン、すなわち視野に収まる語数が広がり、より多くの情報を統合できるようになると指摘している。このためスラッシュを入れる位置を一方的に固定してしまうと、学習開始当初は読解力の向上を促進するがある程度の読解力に達すると細かな分析が却ってさらなる読解力の向上を阻害する恐れがある。
門田・野呂は、句ごとにスラッシュを入れた文章のほうが、1語ごとにスラッシュを入れた文章よりも理解度が高く、また上級学習者になると句ごとにスラッシュを入れた文章とスラッシュのない文章とでは理解度に差がないという事件結果も示している。これは1語1語の分析から英文解釈を始めて、句の構造にある程度慣れてきたところでS・Vや細かな修飾関係などの書き込みをやめさせ、スラッシュによるフレーズリーディングに移行させることが有効であることを示すものであると言える。
直読直解のための読解文法
阿部他(1994)は人間の統語知識は句構造規則(phrase structure rules)または遷移網(transition network)などの形で心内に貯蔵されているという。これは仮説の域を出るものではないが、この仮説から英文の語順を支える句構造規則を学習者に提示し、それを使って文構造を分析し、スラッシュを入れ読んでいくことで直読直解に必要な文法知識を内在化させることができるのではなかろうか。生成文法などで用いられる句構造規則は階層性を持っているため、知覚スパンの拡大した上級学習者にはより大きなまとまり(生成文法で言う「投射(projection)」)で区切れるようにすればよいのである。
もちろん文法構造には学習者にとって理解が困難なものもあり、理論としての生成文法と同様に、学習文法としても句構造規則のようなものですべてが解決できるわけではない。もちろん言語理論にはHPSGのように変形規則を用いずに句構造規則だけで文法を記述するものもあるが、学習文法では極度に抽象的なものは当然不向きである。この辺りが学習文法が折衷的と言われる所以である。
参考文献
- 阿部・桃内・金子・李(1994)『人間の言語情報処理』サイエンス社.
- 入不二基義(1997)「二つの頂点−『英文解釈教室』と『ビジュアル英文解釈』」『現代英語教育』34(2) pp.12-17.
- 伊藤和夫(1987, 1988)『ビジュアル英文解釈Ⅰ・Ⅱ』駿台文庫.
- 伊藤和夫(1997a)『英文解釈教室・改訂版』研究社出版.
- 伊藤和夫(1997b)『予備校の英語』研究社出版.
- 門田修平・野呂忠司(2001)『英語リーディングの認知メカニズム』くろしお出版.
- 松本茂(1993)「英語を読むコミュニケーション」橋本・石井編『英語コミュニケーションの理論と実際』桐原書店 pp. 151-172.
- 村杉恵子(2002)「文法」津田塾大学言語文化研究所読解研究グループ(編)『英文読解のプロセスと指導』大修館書店.
- 高梨庸雄・高橋正夫(1987)『英語リーディング指導の基礎』研究社出版.
- 田中武(2002)「同時通訳の英語速読術“Slash ReadingとSight Translation”」『通訳翻訳ジャーナル』13(2).
- 谷口賢一郎(1992)『英語のニューリーディング』大修館書店.
- 寺島美紀子(2002)『英語「直読直解」への挑戦』あすなろ社.
- 寺島隆吉(1986)『英語にとって学力とは何か』三友社出版.
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