伊藤和夫 再考①
構文主義の成立過程
一般に「伊藤和夫」というと『英文解釈教室』のイメージが強く、英語を構文という視点から分析して解読していく「構文主義」の予備校講師と見られている。そしてこの「構文主義」の是非を巡る議論がいまだに絶えない。本稿では「構文主義」が成立した経緯に触れ、さらに伊藤英語に対する私見を述べていくこととする。
「構文主義」とは、英文読解において、構文を教え、学ぶことを重視する考え方である。ここで言う「構文」とは熟語的な特殊構文や英文和訳の公式のようなものではない。伊藤(1975)は「構文」の研究とは形から英語を考える練習であると述べていることから、伊藤の言う「構文」とは、英語の文法構造ないしは統語形式を指すものと考えなければならない。また、この「構文主義」には、次のような弱い主張と強い主張がある。
- 弱い主張:英文読解のためには構文を学ぶべきである。
- 強い主張:英文読解のためには構文のみを学ぶべきである。
このような強い主張を唱える教師はまれである。しかし、現実の予備校や塾のカリキュラムにおいては、強い主張を具現化したようなものが少なくない。これは伊藤が原形を作ったと言われる1980年代の駿台英語科のカリキュラムの影響が大きいと言える。高橋(1997)によれば、伊藤は公募による講師採用を提唱し、講師や教務の意向を踏まえた上で英語科主任が一元的にカリキュラムを管理するシステムを確立したという。当時は共通一次試験などでも、1文1文が長いものが多く、国公私立大の入試問題も現在と比べると比較的短い文章が出題されていたことと、82年度以降英文法の検定教科書が廃止されたことに伴う予備校生の文法力が低下していたことから、駿台としても構文中心のカリキュラムにせざるを得なかったことは、容易に察することができる。
「構文」の位置づけ
伊藤の考える「構文」とは、次の2段階を経て学習されるものである。
- 文法の意識的学習
- 文法を活かした意識的な練習
1.に関して、伊藤(1987)は母語の学習に費やしたのと同じだけの期間を外国語学習に費やすことはできないため、英語を支える約束事を自覚的に捉えなければならないと主張している。ただし、この段階はさらに2つに分けていく必要がある。
- 基礎的な文法知識の学習
- 基礎的な文法知識を実際の英文に結びつける学習
伊藤(1997a)で主に扱われているのは、この「基礎」と「実際の英文」を結びつけるための知識であり、これがまさに「構文」の中心をなす知識体系である。この内容を伊藤自身の言葉でまとめると、次のようになる。
- 英語のsentencesの構造を統一的体系的に捉え直して、その全体像を提示するとともに、できるだけ明快で論理的な解説を加えること。
- どんな英文も文頭からスタートし、左から右、上から下へ1度読むだけで、その構造と内容の明確な把握に到達しようとする「直読直解」の読み方とは、何を手がかりにする、どのようなアタマの働きなのかを具体的に示すこと。(伊藤1997a:vii)
伊藤自身は、この参考書の初版を1977年に書いた後、次第に上記の2.の方へ関心を移していった。
- 文法は「線」自体ではなく、線の各所に顕現しうるという意味で「線」を超えた第三の視点であることを忘れてはならない。言語を研究するものは、必要に応じて線を離れたところに第三の視点を設定して、オリンポスの高所から言語を俯瞰し、抽象することができる。(中略)しかし、このような視点は、言語を実際に読む者の立場ではない。(伊藤1997b:50-51)
- 言語は静止状態にあって全体を同時に眺められる線ではない。時の流れと等しくい方向に流れる、「方向」を持った線であり、言語の使用にあたって、我々はその線に束縛されつつ、みずからも流れることを強制されているのである。(ibid.:52)
- 我々は既に与えられた部分に基づいて、そこから先の思想の流れと言葉の組み立てを予想している。(ibid.:53)
時枝(1950)は、言語を実践する立場である「主体的立場」と言語を観察し研究する立場である「観察的立場」を区別した。時枝は両者の混同を戒めると同時に両者の関係を明らかにしなければならないと主張した。両者の関係とは、観察的立場は主体的立場を前提として初めて成り立つというものである。
伊藤は従来の英文法が、主体的立場を無視したもので、主体的立場(=読み手)の視点に立った文法でなければ英文読解には役立たないと考えていたのである。しかし伊藤のこの方向性は一般には受け入れられず、上記1.の構造分析の要素だけが受け継がれ、駿台式のカリキュラムの模倣が塾や予備校に浸透して行くにつれて、「構文主義」が確立した。
伊藤の功績は日本人が英文読解を学ぶ上での「読解文法」の確立に力を注いだところにある。読解文法は読解に不可欠であるが、読解文法だけで英文が読めるわけでもない。構文主義のカリキュラムは非難されなければならないかもしれないが、構文を読解文法としてリーディングに必要な知識の一要素として位置づけることは、非難されるべきではなく、むしろ真剣に検討していかなければならない。
参考文献
- 伊藤和夫(1975)『英語構文詳解』駿台文庫.
- 伊藤和夫(1987)『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫.
- 伊藤和夫(1997a)『英文解釈教室改訂版』研究社出版.
- 伊藤和夫(1997b)『予備校の英語』研究社出版.
- 高橋善昭(1997)「伊藤和夫氏の業績」『現代英語教育』34(2) pp.6-8.
- 時枝誠記(1950)『日本文法口語篇』岩波書店.
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