持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

国語教育における「読解」

PISAの「読解」と国語の「読解」との齟齬

経済協力開発機構OECD)が2003年に行った「生徒の学習到達度調査(PISA)」によると、日本の高校生の読解力はOECD平均と同水準にとどまっている。平均というと悪くはないという印象を持たれるかもしれないが、移民の子どもが多い国々と同水準ということであるから、日本語が母語である子どもがほとんどである日本にとっては深刻な事態と言える。
PISAの読解力テストの中で、日本がOECD平均よりも無答率が高かったのは、「解釈」や「熟考・評価」の自由記述問題である。有元(2005)によれば、このような問題に答えるには次の3点が求められるという。

  1. 本文を正確に理解すること
  2. 書かれていることを根拠に自分で考えること
  3. 自分で考えたことを表現すること

これら3点が日本の高校生に実行できない原因は、現在の国語教育にあると鈴木(2005)は分析する。1.ができないのは、個々の語の意味に拘泥するために文章全体から物事を読み取ることができなくなっているからである。また、文章の一部に傍線を引き、意味を問うという問題形式に慣れてしまい、正解は1つであるという考えから抜け出せないために、2.と3.を経て自由な記述ができなくなっているのである。

日本語の読解力向上への道のり

鈴木(2005)は、PISAの読解力テストで得点をあげるためには、従来のような文章を読み解くという方法ではなく、文章が生み出された過程に目を向け、筆者と対面するような読みができるようになることが大切であると主張している。しかし、これには日本の英語教育と同じ踏み外しがある。
大学入試で見られるような下線部和訳のような局所的理解を求める方法が非難され、パラグラフや文章全体の読み取りを重視する動きがある。しかし、文を文法的に理解することができなければ、トピック・センテンスを理解することができない以上、パラグラフ単位での理解など無理である。
日本人学習者の多くにとって、英語が外国語であるのに対して、日本語は母語である。国語教師はこのことに甘えがちであるが、書き言葉の文法は一度意識的に学ぶ方が確実である。つまり、文法や語彙の知識を活用して文章の事実内容を読み取り、その上で書き手の物の見方や考え方に迫っていくことが必要なのである。

小学校英語教育への反対理由としての「国語力重視」の危うさ

最近、小学校での英語教育に反対する理由として国語力を身に付けることが先決ということが言われることが多い。しかし、週1回の英語の授業の有無では国語力に差は出ない。国語教育の中身を言語技術教育を中心としたものに再編し、その上で授業時間が不足することが明らかになってはじめて、英語教育に反対ができるのである。また、英語力と国語力をともに伸ばしていくような教育を考えていくのであれば、両者が言語技術教育として足並みを揃える必要がある。

参考文献

  • 有元秀文(2005)「PISA調査で、なぜ日本の高校生の読解力が低いのか」『日本語学』24(7) pp.6-14.
  • 鈴木一史(2005)「『読解力』低下の実態と課題−国語教育における『読解力』との比較−」『日本語学』24(7) pp.16-23.