持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

ちょっと気になること

『英語教育』の古い記事を読んでいたら、気になることが出てきた。といっても、以前から関心を持っていたことでもあるのだが。

訳読をめぐる議論

河上(1967)は、日本人が英語を読む力が弱い理由を、読むという作業が「訳読」に終始しているためであると指摘している。そして訳読に終始してしまうのは、入試が難しすぎるためであり、そのために教科書も難しくなっており、英語教育全体が訳読中心に陥ってしまうと述べている。河上のこの主張の背景には、「難しい文章は訳読が必須である」という考えがある。
こうした考えに波多野(1967)も同調する。波多野は、その場限りの英文理解であれば直読直解で差し支えないが、あとになっても役立つような内容のものを読む場合には翻訳的な態度を抜きにして外国語の文章を読むことはできないと指摘する。ただし、この指摘は日本語を介すことによって理解が深まかどうかということよりも、理解して記憶された知識が後に日本語で使えるようにするため、という側面が強い。
こうなると、ただ訳せばよいということではないことに、改めて気づかされる。細川(1967)は、訳読の際に内容を深く考えずにただ反射的に日本語に置き換えてしまう「反射的直訳」が日本人の英文読解において頻繁に見られると指摘している。

こうしたことはとっくに解決済みで、現代の英語教師は一切気にしなくてもよい問題、というのであれば、先輩方の功績に深く感謝し、安心して日々の授業が実践できる。しかし現実はそうではない。チャンキングをリーディングに活かすにしても、ここで挙げた問題はまだ解決できていない。私は中等教育や受験対策で身につける英語は、教養のためにも日常生活のためにも役立つ言語技術であるべきと考えている。しかしながら、チャンキングを始め、現在試みている指導法がそうした言語技術の向上に確実に結びつくようにしていくには、まだまだ解決しなければならない問題が山積みである。日々精進である。

参考文献

  • 波多野完治(1967)「英語の読書心理と読書指導」『英語教育』16(2) pp.4-6.
  • 細川泉二郎(1967)「リーディングにおける誤解・曲解、そして無理解」『英語教育』16(2) pp.7-9.
  • 河上邦雄(1967)「読む力を付けるためには現行のリーダーでよいか<一私案>」『英語教育』16(2) pp.13-15.