持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

学習文法における「入力」

ここで論じることは、以前扱ったものに対する補足的な内容となっています*1

反クラッシェン的見解

井狩(2006)は、脳科学の立場からKrashenの見解を否定している。脳全体、特に前頭前野が活発に活動する意識的な処理から、脳の一部のみが活動する無意識的な処理へ移行するというのが猪狩の見解である。これはMcLaughlinの考えを支持するものといえる。さらに井狩は、こうした移行を可能にするためには、適切な言語使用環境を確保することが大切であると指摘する。

言語能力練習と言語運用練習

意識的処理と無意識的処理とのあいだに連続性が認められるとすると、言語入力のあり方もそれに見合ったものにしていく必要がある。より具体的にいえば、明示的文法指導を言語入力と結びつけて組み立てていくということである。かつて、変形生成文法を英語教育に積極的に援用しようとしていた時期には、言語能力と言語運用の区別を学習活動にも適用する動きが見られた。斎藤(1971)は、場面を離れた言語の構造練習である「言語能力練習」と、場面との関係を重視した「言語運用練習」とを区別した。最近では機械的なドリルは意味がないと考える教師が多いようだが、阿部(2006)も指摘するように言語使用の正確さを確保するためにはこうした活動も重要なのである。

参考文献

  • 阿部一(2006)「教師のための語彙論」『英語教育』55(7) pp.14-17.
  • 井狩幸男(2006)「英語教育に役立つ脳科学」『英語教育』55(7) pp.25-27.
  • 藤武生(1971)「変形文法と外国語の習得」『英語教育』19(11) pp.12-15, 86.

*1:覚え書きなので、随時付け足していくわけです。