持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

文章における論理とは何か(その3)

論理と文章の関係

ロジカルライティングという言い方がある。照屋(2006)など最近の書物でも紹介されている。だが、鳥山(1954)でも、「実証のための資料はできるだけ多方面から選んだ方が読者を納得させ得るが、多方面から選んだ資料相互のあいだに矛盾があってはならない」(39)など、現代のロジカルライティングと同様のことを指摘している。鳥山は論文を「自己の立場を確立して、自己の思想や意見を論理的に表現した文章」(39)と定義している。この論文の定義が少しずつ拡大して解釈され、より日常的な文章が含まれるようになったのが、最近の傾向ということになろう。
しかし、論理が文章のすべてではない。鳥山(1954)は、合理的で妥当な論旨を展開し、それを首尾良く実証して論文としての体裁を保てても、書き手が論旨について深く正確な理解をできていないなければ意味をなさないと述べている。さらに、野内(2008)は、論理的な文章が説得力を持つこと自体に懐疑的な立場をとる。野内は論理学とレトリックの違いを強調している。論理学の世界はトートロジーであり、1つの答えしか容認されない(常に真)。トートロジーでなければ矛盾であり、やはり1つの答えしか容認されない(常に偽)。しかしレトリックでは必ずしもそうではない。論理学ではコンテクストを捨象した命題のみが問題となるが、レトリックでは命題以外の要素も重要な意味を持つことがある。野内は説得と論証とは別物であると指摘する。説得は話し手、聞き手、状況などのコンテクストによって依存する実践的な行為である。これに対して論証は普遍的な真理をめざし、それを普遍的な聞き手に語る行為なのである。
文章における論理の役割は実は限定的であり、レトリックの方が大きな役割を果たしている。文章を論理的に読むとか論理的に書くと言われる。受験指導の世界では現代文の学習が論理的思考の基礎をなすと言われる。この場合、このように言う人は、実は言語活動における論理の限界を知ったうえでそう言っているのか、あるいは本当に言語活動に論理が重要であると思ってそう言っているのかのどちらかである。前者の方が「論理的」であるのかもしれない。

参考文献

  • 野内良三(2008)「論理と説得:詭弁のすすめ」『言語』37(3) pp.68-75.
  • 照屋華子(2006)『ロジカルライティング:論理的に分かりやすく書くスキル』東洋経済新報社
  • 鳥山榛名(1954)「論文の書き方」『国文学解釈と鑑賞』19(9) pp.39-41.