持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

年が明けました

ご挨拶できず・・・

新年の挨拶というにも松の内も過ぎてしまい、完全に挨拶しそびれている。「不定期更新の非人気ブログ」というスタンスでやっているが、もう少し頻繁に更新したいとも思っている。とりあえず、行を改めて一応のご挨拶を。
皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。

小論文のこと

もともと塾で英語を教えることから始めた講師業だが、5年ほど前から小論文関係の指導も行うようになった。はじめは公務員試験の教養論文や論作文、ついで大学受験の小論文を教えるようになっていった。こうした論文科目の指導は、生活綴方の流れをくむ情緒的な作文教育*1のノウハウを持つ作文系教師と、圧倒的な学識を背景に講義する論点系教師によって行われるのが一般的である。前者はさすがに試験の答案に情緒ではまずいだろうと考え、安直な受験参考書で「理論武装」して文章表現を指導する。後者は論文は作文とは違うと煙に巻きながら、文章をどう書いたらいいかわからぬままの生徒を相手に「重要論点」を熱く語る。
だが、生徒に本当に必要なのは、文章をどう書くのかという方法論である。試験直前になっても、回りくどくて論理的にも破綻した文章しか書けない受験生があまりにも多い。このレベルを乗り越えないかぎり重要論点だの背景知識だの言っても、受験生の文章にそれを盛り込むことはできないのである。これには学習する側の学習段階に配慮しつつも、ある程度体系的な指導を行う必要があると思う。もちろんそれは一方的な講義形式ではない。そうではなく、文章表現力を身につけるために種々の学習活動を有機的に結びつけていく、単元学習的なプロセスである*2

*1:私自身としては、生活綴方そのものは否定しない。そうした文章表現活動の積み重ねがなければ、論理的な文章もまた書けるようにはならないと考えている。

*2:かつて、あるところに「書くための学習」と「書く学習」とを分けて体系的な講座を立ち上げる必要があると提案したところ、その構想自体は採用された。しかし事の本質をよく分かっていない講師が取り仕切ったために構想が骨抜きにされたことがある。