事態認知
見たことを伝えること
学術的正確さを担保せずにゆるい文章で綴りたいので、「ぼそぼそ」カテゴリーで書く。事態認知というのは認知言語学で言われる概念である。ソシュールの「ランガージュ」も、これに通ずる概念であろう。言語主体が状況を捉えると、それをある言語形式で表現することになる。文を生み出す文法能力は概略、このあたりから形成されていくと考えていいと思う。話し言葉ではこの能力が形成されても、文のかたちで出力されることはなかなかない。国語教育で扱う書記言語の能力の根底は、この事態認知から文を構成する能力が存在するように思える。
何を、どのように
物事を文のかたちで表現できるようになると、それを複数組み合わせた文章を読み、書くことになる。このあたりで、論理というものの重要性が顕著になってくる。論理とは言語運用において伝達技術を下支えするものであり、伝達内容に関わるようなものではないのではないか。論理学ではともかく、言語学習者が言語運用をメタ認知し、「論理」として意識するのはそういうものだと思う。言い換えれば、「何かをどのように伝えるか」を学習者=言語主体が考えるときに、「どのように」のところで意識に上るのが論理であるということになる。「何かを」のところでも広義の論理が作用することがあるのであろうが、こちらは学習者にはむしろ、純粋にことば(=文法)の問題として感じられるのではないだろうか。こう考えていくと、「ことばへの気づき」というのが重要になってくるわけである。