持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

文章における論理とは何か(その5)

文の論理と文章の論理

前回の「日本語の論理」という節で言及した「論理」とは、それまでのところで扱った「論理」とは実は別物である。前者の「論理」は文の論理であり、後者の「論理」は文章の論理である。文の論理とは何か。これは、書き手や話し手が伝えようとしていることをできる限り正確に反映する文法の仕組みと考えればよいだろう。Jespersen(1924)が言うように、文法のカテゴリーと外部世界のカテゴリーの対応は決して完全なものではない。だから読み手や聞き手への配慮を欠いた文は誤解を招きやすくなる。逆に言えば、誤解の可能性をできる限り排除した文が論理的な文ということになる。
日本語と英語を比べたときの、名詞の数や動詞のテンスの面から日本語の方が非論理的と言われることがある。しかし、数は数詞で表せばよいし、テンスの「不備」は副詞的に時を規定すればよい*1。あとは述語と名詞句との格関係である。英語の場合、前置詞に頼らず語順だけで格関係を表さなければならないことがあるのに対して、日本語ではすべての名詞句に助詞をつけることが可能であるから、格標示は非常に容易かつ明快である。ただし三上(1963)が指摘するように日本語の構文には題述関係の枠組みがある。この枠組みを適切に使いこなさなければ意味が曖昧な文になりやすくなるということは、注意しておかなければならないだろう。

参考文献

  • Jespersen, O. (1924) Philosophy of Grammar. Chicago: University of Chicago Press.
  • 三上章(1963)『日本語の論理』くろしお出版

The Philosophy of Grammar

The Philosophy of Grammar

文法の原理〈上〉 (岩波文庫)

文法の原理〈上〉 (岩波文庫)

日本語の論理 (三上章著作集)

日本語の論理 (三上章著作集)

*1:むしろ、数や時をぼかしたいときにぼかす自由がある日本語の方が論理的と言えるのかもしれない。思考に忠実な言語が論理的な言語なのである。ぼやけた表現というのは書き手が非論理的なのであって、その表現を支える言語自体は論理的なのである。