文章におけるレトリックとは何か(その1)
言語過程説・コミュニケーション能力・レトリック
言語過程説というと詞辞理論の議論に向かうものと考えられがちだが、今回は格関係や陳述の話ではない。ここでは時枝(1941)が取り上げている「言語の存在条件」を問題にしたい。時枝は、言語が「誰(主体)かが、誰(場面)に、何物(素材)かについて語ること」(時枝1941:40)で成り立っていると考え、言語の成立条件として主体・場面・素材の3つを挙げている。主体とは話し手・書き手であり、素材とは話したり書いたりする内容である。これら2つの要素と比べて、場面については若干の説明が必要である。時枝の言う場面とは単なる場所という空間的な概念ではない。場面は場所に加えて、その場所に対する主体の態度、気分、感情をも含む概念である。この場面の中には聞き手や読み手も含まれることになる。つまり、どのような状況で、どのような相手に語るのかということについての主体的判断が、時枝の言う場面なのである。
時枝の言語観は、「言語過程説」という言葉に象徴されているとおり、意味作用の過程を中心に据えている。つまり、「音声或いは文字が、思想や事物に連合し、思想や事物が、音声或いは文字に連合する作用或いは習慣」(時枝1955:52)によって言語が成り立つという考えである。これだけを考えると主体と素材だけの問題であって、先述の場面が関与していないように考えられがちである。しかし、この連合の習慣というのは、必ずしも普遍的なものではない。反射的に連合できるものもあれば、容易に連合できないものもある。多くの人が連合できるものもあれば、特定の集団にしか連合できないものもある。同じことを語っても理解される場合と理解されない場合とがあるのはこういう事情によるものである。理解されるように表現しよう、理解できるようにしようと主体が思うならば、そこには当然場面の制約を受けることになるのだ。
文章という文字言語の場合、音声言語とは条件が違ってくる。最も大きな違いは、読み手が書き手の目の前にいないことである。目の前にいないということが、文字言語にさまざまな制約を課す。特定の読み手を想定する場合だけでなく、不特定の読み手を想定する場合がある。これを時枝(1960)は非場面的表現形式と呼んでいるが、これもまたひとつの場面と捉えるべきであろう。目の前にいない相手に向ける言語表現は、目の前の相手に向けるとき以上に明確なものでなければならない。表現主体と理解主体とのあいだで共有できるコンテクストが少なくなるぶんだけ、表現する側に配慮が求められるのである。
こうした時枝の場面についての考え方は、コミュニケーション能力の考え方と通じるところがある*1。意外に知られていないが、Canale(1983)はコミュニケーションに文字言語によるものも含めている。Canaleらのコミュニケーション能力の構成要素のうち、文法能力以外のもの、すなわち社会言語能力(sociolinguistic competence)・談話能力(discourse competence)・方略能力(strategic competence)は、時枝の言う言語における場面の制約に対応するための能力ということができる。ただし、文字言語の場合、方略能力はコミュニケーションが破綻してからではなく、破綻する可能性をあらかじめ書き手が予測して破綻を回避する能力ということになろう。
このように考えると、文章において論理やレトリックが必要だと叫ばれる理由が見えてくる。言語コミュニケーションにとって誰が何を伝えるのかに加えて、どのように伝えるのかということが重要だからだ。そして同時に論理ということにこだわるのではなく、誤解をされないとか、納得してもらえるという目的に合った効果的な文章ということを考えることが重要なのだということにも気付くのである。
参考文献
- Canale, M. (1983) "From Communicative Competence to Communicative Language Pedagogy" In J. C. Richards and R. W. Schmidt eds. Language and Communication, London: Longman, pp. 2-27.
- 時枝誠記(1941)『国語学原論』岩波書店.
- 時枝誠記(1955)『国語学原論続編』岩波書店.
- 時枝誠記(1960)『文章研究序説』山田書院.
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