持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

文章にとって文法とは何か(その5)

文法における文論

文論とは、文の構造を扱うものである。しかし、これが問題である。遠藤(1970)は、文論で扱う文の構造とは、主語・述語・修飾語・接続語・独立語などの文の成分であると言う。これが妥当なのかどうかが問題なのである。文の成分という考え方自体に問題はない。「成分」であれ、「構成素」であれ、「句」であれ、「チャンク」であれ、そうした単位が文章の表現/理解に必要であることには異論がないと思われる。議論が必要なのは、何をもって文の成分とするかである。また、文節という単位を用いる橋本(1946)が文節構成法が文構成法の一部分であると言っているように、文の成分というものがどのような構造をなすものなのかを把握しておくことも重要である。
文の成分の中で、述語という単位を認めることには問題ないだろう。問題は述語のつながる成分の扱いである。時枝(1950)は、「述語格」という用語を使って文の成分の1つとしている。時枝の述語格というのは、いわゆる用言の部分のみを指す概念ではない。時枝の表現でいう「陳述の助動詞或いは零記号の陳述によって統一されたもの」(時枝1950:224)である。これは中右(1979)のいう「命題」に近い概念であり、生成文法のXバーの枠組みにおけるVPに相当するものである。時枝は述語格のほかに、主語格、客語、補語、賓語格、修飾語格、対象語格、独立語格といった格を文の成分として挙げている。時枝には主語や客語などの概念を「修飾語」に収斂させようとする意図が垣間見える。ここに、主語を独立した文の成分として認めるかどうか、主語以外の述語の構成素をすべて修飾語として一括して扱っていのかどうかという問題を解決することが文論の課題であることが読み取れる。

参考文献