持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

文章を書くということ③:樺島忠夫の場合(その3)

書かなすぎと、書きすぎの間に

樺島(1973)によると、文章を書き慣れていない人は、自分に分かっていることは省略してしまったり、簡単に書きすぎてしまったりして、他人が読んでも理解できなくなっていることが多いという。このような場合、文が抽象的な言葉の羅列になりがちで、内容的には不足があるのに、文自体は冗長になる。こうなると、文法的な誤りも犯しやすくなってしまう。
こうした状況に陥らないようにするために、樺島は、代名詞や抽象的な表現を避け、現実に即した具体的な表現を用いることを勧めている。また、多くの人に知られている事例を挙げて説明したり、わかりやすい比喩を用いるべきだということも説いている。長い文を回避する方法としては、1つの文に1つの内容だけを盛り込むようにすべきであるという提案している。具体的な1文あたりの字数として、樺島(1967)は27〜43文字であれば標準的であるとしている。ただし、長い文といっても、いわゆる複文の方が理解が難しくなると指摘しており、「長い修飾語は使わない」という考え方と通じる。

漢字とかなの配分

樺島(1967)は、表音文字を使う英語やフランス語などと異なり、日本語で分かち書きをしないのは、漢字とかなを混ぜて使うからだと述べている。日本語の文を文節で区切っていくと、文節の多くは「漢字+かな」というパターンとなる。この事実が、日本語において分かち書きと同様の効果を上げているため、漢字とかなを適切に使い分けることが、文章の読みやすさにつながるのだと樺島は主張している。

まとめ

以上、樺島の文章構成法において、特徴的と思われる点を挙げてみた。文章の構成自体に関しては、アウトラインを構築することの重要性を説きつつも、起承転結の叙述展開を用いることを勧めていたりと、明確な方向性は打ち出せていない印象を受ける。しかし、文章を書くという行為を、1つのプロセスとして捉えようとする試みは、ある程度成功していると言える。
もっとも、現状では、私自身が文章表現という分野においてブレーンストーミング中であるので、今後もこのブログでこうした記事をアップし、その過程で、母語である日本語を書くということがどういうことで、それが外国語である英語を書くということとどう関連し、日英語の他の技能に対してどのような影響を及ぼすのか、という点を考察していきたいと思う。

参考文献