文章にとって文法とは何か(その2)
文法の範囲
文章表現、あるいは文章理解のための文法の範囲とは、どのように設定すればよいだろうか。時枝(1960)は当時の文法軽視の風潮に対して、文法が国語の読解・作文に役立たないのは、文法自体に問題があるのではなく、文法教育をもっぱら単語論に終始させてしまったからであると指摘している。単語論のみに拘泥せず、語論・文論・文章論の全体を文法教育の対象とすべきであるというのが、時枝の立場である。文章論が文法の一領域として成り立ちうるのかという議論もある。しかし、この議論を文章表現・文章理解の指導・学習に持ち込むには問題がある。遠藤(1970)が言うような、「理論文法」と「実用文法」の区別がなされていないままの議論となるおそれがあるからである。遠藤は表現のための文法は、語論・文論・文章論を含むという立場であり、文章論では文と文との関係や段落と段落の関係などを扱うのだという。また、永野(1969)は文章論の関係において文論を論じる必要があると指摘する。主語でも何でも省略しないのが論理的な日本語であるという考え方があるが、現実の日本語は必ずしもそうではないことを学習者に示すには、永野の指摘は重要である。