ぼそぼそ−院生日記
修士論文提出 修士論文を提出しました。修論の内容など、詳細については月末の口頭試問の後にこのブログでも書かせていただこうと考えています。
「国語科教育法」 教員免許を取得するには教科教育法を履修する必要があるわけですが、私の場合は1995年に「英語科教育法I・II」を履修して以来16年ぶりの「国語科教育法1・2」の履修です。その中で行う模擬授業も16年ぶりです。複数教科の免許を取る場合…
学会発表のこと 先週末に高知大学で行われた、全国大学国語教育学会高知大会に参加し、発表してまいりました。「古典の「訳読」で育む現代語の力」というテーマで、古典の現代語訳が現代日本語の表現力の向上につながるという提案を、翻訳理論や第二言語習得…
秋学期ではない。 所属している研究科は卒業は秋でも可能だが、入学は春にしかできない。なので、「秋学期」ではなく、「後期」である。その後期授業が始まった。学部授業も聴講しているので、また忙しくなる。学部授業は学部生の発達段階(?)に合わせてシ…
英文法と比べて思うこと 先日の慶応の学習英文法シンポジウムで、日本語を母語とする学習者の英文法学習のあり方をめぐって議論が交わされた。それと比べると、古典文法のあり方をめぐる議論はあまり活発でない。古典教育において古典文法は障害であり、それ…
断片連鎖 京都の学会は有意義だった。自分の研究に直接関わってくるような研究発表はなかったが、発表者が引用している文献、あるいは発表者自身が過去に執筆している論文などに、自分の研究を進めていくのに役立ちそうなものがいくつかあった。研究に必要な…
訓読の脆弱性 漢文訓読において、助字の訓読の仕方をリストにして覚え、それを文脈に即して使い分けるようにと言われることがある。その文脈は何を理解することによって把握できるのか明らかにしてくれる教師は少ない。助字の訓読の仕方についても複数の訓読…
排除の口実 人文系の人間のせいか、「専門性」という言葉に嫌悪感を覚える。「専門性」という言葉でプロパーの研究者以外を排除しようとしているようにすら感じる。私自身は英語教育も国語教育もどちらも「専門」という感覚はない。どちらも生業にすぎない。…
『英文解釈教室』の「はしがき」から考える 現在私が出講先の予備校で担当している教材に英語構文を扱うものがあるが、これは『英文解釈教室』(伊藤和夫、研究社)の読解文法を扱う教材であると言える。その『英文解釈教室』の「はしがき」に「いわゆる公式…
学部の科目等履修生として 現在、国語科の教員免許を取得するために教育学部で科目等履修生として1種免許に必要な単位を修得している。履修している科目の中に、で、「漢文学」に関する科目として「中国文学演習」という科目がある。平たく言えば、漢文を講…
進路のこと 一昨年の4月に大学院の科目等履修生として国語教育の授業を聴講し、昨年4月に正規の大学院生として入学し、国語教育と英語教育との連携における国語科教育の役割という視点から、文法教育について研究してきました。古典教育に対して現代的な価…
久しぶりの「春休み」 大学院は現在「春休み」である。学部を卒業して以来の「暇」な2月である。もっとも、学部卒業後も予備校講師専業の時期があったので、その当時も暇ではあった。だが、学生の休みとは何となく違う。入試期間もあり、自由に大学に出入り…
ゆっくりと・・・ ようやく、ご指導していただいている先生方や、院生の仲間に自分の研究が目ざしているところが理解されるようになってきた気がする。もっと、自分に表現力や説得力があれば、もっと早く理解してもらえたのかもしれない。それでも最悪の場合…
「ゲームセンター○○○」 共通する3文字を答えなさいという空所補充問題である。大学院の授業を担当しているある教員が授業で、「学会発表では参加者が共有できる問題提起をすることが大切である」という趣旨のことを仰っていた。極めて重要なことだと思う。…
院生は学生なのだ 院生は学生なのだと思うことがある。悪い意味での「学生」である。そのことはブログの更新ができていないことと密接な関係がある。院生になると、時間の使い方がルーズになるのだ。去年の今ごろは50分換算で35コマを毎週こなし、それに加え…
1か月のご無沙汰 前回の更新から1か月。あっという間だった。仕事以外の動きをいくつか書いていきたいと思う。まず8月28日に「翻訳通信」東京セミナーに参加した。翻訳者の山岡洋一さんの講演で、教養教育としての翻訳教育の可能性など、興味深い話が聞…
休んでました 夏期講習が立て込んでいる時期と、図書館の休館期間が重なったこともあり、その間は研究をほとんど進めていなかった。夏の仕事が一段落した今、研究を再開する時期となった。前期の合同発表会で浮き彫りとなった問題点の再把握とその解決を図っ…
やってません お盆の時期になると、大学の図書館が閉まる。これがどうしても理解できない。高い学費を払って大学に通っているのに、なぜ長期休館によって不便な思いをしなければいけないのか。こうしたことをするのであれば、なぜ閉めなければいけないのかを…
合同発表会を終えて 私の所属している研究室では学期末に修士課程と博士後期課程との合同発表会を行うことになっている。修士1年の場合、通常のゼミでは他の学年のゼミ生は参加しないため、内輪で議論をしていくのだが、合同発表会では複学年での議論が展開…
紀要を器用に読む 大学院に入って、修論に向けた研究を進めていくなかで、先行研究に触れていくことは当然ながら重要なことである。読むべき文献の情報を収集していくと、これまであまり引用されていないような文献の存在に気づくことがある。その多くが紀要…
ある授業での余談から ある授業での余談。日本の学問分野は細分化・精緻化してきたという話になった。それはそれで大切なことではあるが、同時に学会の中で語られていることを疑ってみることも必要であるという話になった。素朴な疑問が学問を動かすのだとの…
研究テーマ このブログでは、ゼミで発表した後に発表資料を公開している。その理由はより多くの人に自分の研究の進捗状況をご覧になっていただきたいということと、生臭い話しで恐縮だが、自分の著作物であることを研究室内外に知らしめることの2点による。…
読んで、読んで、読みまくる 文系の学問領域において、文献研究は非常に重要と言える。文献を読むことで、先行研究にあたることができるわけだ。私がやっている分野は比較的先行研究が少ないと言われたのだが、それでも次から次へと、読まなければならない文…
修士論文に向けた研究 修論執筆に向けた研究というのは、基本的に独学の上に成り立つ。私の場合、学部時代もその傾向があったので、決して新鮮なものでも戸惑うものでもない。ただ、学部時代は理論のさわりの部分を授業で学ぶことができたが、大学院にはその…
邪魔が多すぎ 大学院、特に修士課程というところは邪魔なことが多い。もっとも邪魔なのが授業である。なぜこうも、修論研究の邪魔をするのだろうか。学部の授業との差別化を図りたい先生方の思惑も分からないわけではない。だが、本来逆であろう。比較的暇な…
学習指導要領 教科教育学的な研究を行う際に、学習指導要領を参照することがある。これと完全に矛盾する実践を教室で行うのは現実的でないからだ。だが、学習指導要領を持ち出すことが教科教育の理論研究なのだと思いこんでいるような雰囲気がなくもない。 …
文献情報を収集して 現在、修論研究の一環で学校文法や文法教育に関する文献の情報を収集しているのだが、思いのほか読むべき文献が多いなという印象である。文法は国語教育の他の分野と比べて関心が低いと思っていたこともあるかもしれない。しかし、それだ…
ペースメーカーとしての大学院 昔、大学受験のときに予備校に通うのと、自宅浪人とを比べた場合に、勉強のペースを維持できるという理由で予備校に通うというケースが多かったように思う。現在では学力の勉強の仕方の見直しなど、受験勉強を再構築していく意…
逃避の末なのか 謙遜なのか事実なのかわからないが、英語をやりたくないから国文専攻、みたいなことを耳にする。謙遜であって欲しいと思う。特に国語教師として教壇に立ったり、研究者として彼らの理論的支柱となろうという場合はそうあって欲しいと思う。母…
日本語教育のこと 昨日、大学図書館のサイトから日本語教育の概説書の蔵書検索をした。すると、日本語教育と言語習得研究との関連を扱う本が複数貸し出されていた。JSLやJFLの教育に関心がある人たちは、習得研究にも自然と関心が向くのであろう。同じ"JFL"…