持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

専門性

排除の口実

人文系の人間のせいか、「専門性」という言葉に嫌悪感を覚える。「専門性」という言葉でプロパーの研究者以外を排除しようとしているようにすら感じる。私自身は英語教育も国語教育もどちらも「専門」という感覚はない。どちらも生業にすぎない。両者をつなげる「言語教育」というのが自分の仕事と考え、その仕事に必要な知見を学んでいきたいと思っているだけである。それにもかかわらず、そういう素朴な欲求を退けるような空気を感じることがある。「ムラ」だ。ムラがそこにはあるのだ。

学際的ということ

言語教育はもとより学際的である。言語教育学という単一の学問体系が存在するわけではない。学習者をとりまく諸問題を解決するために理論をどう生かすかが大切なのであり、アプリオリに存在する理論を現場にどう生かすかというベクトルではない。また、「理論か実践か」ではない。「理論と実践と」である。言語教育が教える側・研究する側の論理でズタズタに切り裂かれている気がする。そうするほうが居心地がいいのかもしれない。余計な争いもなく牧歌的なほのぼのとした研究や実践ができるのかもしれない。だが、そうではなく、さまざまな分野の人たちと交流を重ね、そこでの議論から自分の研究や実践にフィードバックさせていきたいと思う身には、断片化されたムラは非常に居心地が悪いのである。