文献のこと、環境のこと
紀要を器用に読む
大学院に入って、修論に向けた研究を進めていくなかで、先行研究に触れていくことは当然ながら重要なことである。読むべき文献の情報を収集していくと、これまであまり引用されていないような文献の存在に気づくことがある。その多くが紀要や雑誌に掲載された論文である。これまでに誰にも言及されていない文献というのは、たいして重要なものではないと考えることもできる。だが、そう考えていては自分の研究が先行研究と同レベルのものに堕してしまうおそれがある。研究とは後出しじゃんけんの連続のようなもので、後から世に問う研究はそれ以前のものよりも優れたところがなければ無意味である。そうであれば、埋もれていた文献に新たな光を当てることで、新たな発見が得られる可能性もあろう。
院生という立場
院生というのは、ものすごい勢いで研究が進められる環境にあるのだと思う。研究のための時間を金で買ってるだけのことはあると思う。確かに研究に直接関連しない授業を履修するのは負担である。それでも、学部学生に比べれば週あたりのコマ数は圧倒的に少ない。フルに仕事を得て働いていたら、研究なんて二の次である。学部から上がって、親に学費を負担してもらってる院生には、この贅沢さがなかなか実感できないのかもしれない。もったいないと思う。