持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

全国大学国語教育学会京都大会

断片連鎖

京都の学会は有意義だった。自分の研究に直接関わってくるような研究発表はなかったが、発表者が引用している文献、あるいは発表者自身が過去に執筆している論文などに、自分の研究を進めていくのに役立ちそうなものがいくつかあった。研究に必要な「気づき」が得られたと言ってもいいかもしれない。ただ、その反面、発表者が文献を孫引きしているのに誰もそのことを指摘しないなど、この分野独特の「文化」も垣間見ることができた。

理論と実践を考える

理論研究は実践への提案などを盛り込まなくても研究発表が成立する。逆に実践研究というのは、理論的に破綻していてもまかり通る。そういう雰囲気があった。それが各大学院や研究室なりの流儀になっているようにも感じられた。実際に、まず実践するので理論的にはまだ詰められていないところがある、という発言も耳にした。このこと自体は教育にとっては悪いことではないと思う。でもそれはワークショップなどでやればいい。別の大学の方がある発表者に対して「学会ですから」のひとことできつく叱っていたのを見たこともある。語用論的に深い言葉である。

異質な世界を覗く

今回は古典教育の研究発表など、今まであまり見て回っていなかった発表にも当たってみた。歴史文法教育という概念を提唱しようとしている自分の研究にプラスになればと思ってのことだが、これがなかなか面白かった。漢文教育史などという領域はなかなか興味深かった。そのなかで、漢文が独立した科目であった時代もあり、「漢文の専門家」とも言うべき教師がいて、国語教育の世界で著名な実践家であっても、そういう「専門家」のおかげでほとんど漢文の授業を持たせてもらえなかったなど、「裏歴史」みたいなものも知ることができた。
他の分野の人が見たらふざけていると思われるところが多々あるだろうが、個人的にはそれなりに資するところがあったと思っている。もちろん、言語学や英語教育など、他の分野の人がみても恥ずかしくない研究を個人的には目指していきたいのではあるが。