持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

応用言語学としての受験英語②

学習過程モデルにおける学習文法の位置づけ

学習過程から学習文法を捉える意義

従来の文法指導ではリスト化された知識の羅列として文法が扱われてきた。これはあくまでもリストであり、辞書のように引いて参照するための文法としてはよいが、学習者が学習することを考慮したもにはなっていなかった。学習を考慮に入れる場合、学習者がどのように学んでいくのかという、学習過程というものを考えていく必要がある。

第一言語獲得モデルと普遍文法

Chomsky(1966:20)は、人間の母語第一言語)獲得を次のようにモデル化している。

primary linguistic data→[AD]→G

primary linguistic data(一次的言語資料;PLD)とは、人間が意識的・無意識的に聞いたり(ときに読んだり)することばであり、文法的に適格な文もあれば、非文もある。文の体裁を成さない断片的なものもある。それらが不規則に、かつ非体系的にAD(aquisition device;獲得装置)に入力される。ADはPLDが入力されると活性化され、PLDの属す言語の文法知識Gを出力する。これが生成文法で言う「言語能力」(linguistic competence)である。この獲得モデル自体は母語が外国語かという区別をせずに理想化されたものであるが、基本的には母語の獲得を念頭に置いたものであると思われる。
このような言語獲得モデルが考えられた背景には、言語獲得に必要な言語経験が限られたものであっても、言語獲得は比較的短期間で達成されるのはなぜかという問題(プラトンの問題)がある。のちに、ADでは普遍文法(Universal Grammar;UG)が中核的な役割を果たすと考えられるようになった。原理の体系からなるUGにはパラメータを含み、個別言語が表面上異なった形で現れるのは、パラメータの値が異なることによると説明される。この場合、言語獲得とは各個別言語の資料からパラメータの値を決定する過程であると考えられている。(原口・中村(編)1992)

第二言語獲得と普遍文法

第二言語獲得において、ADが母語獲得の場合と同様に機能するかどうかについてはさまざまな見解がある。レネバーグ(1972)は生物学的な理由から、母語の発達が終了する12〜13歳以降ではADが機能しなくなると述べている。しかし、その証拠としてあげられているのは、外国語学習者における「母国語なまり」の頻度のみで、Chomskyの理論の中心をなす統語知識の獲得に関しての言及はない。
統語知識の獲得という観点からいえば、第二言語獲得(second language acquisition)におけるUGの働きに関して次の3つの仮説が提案されている。(岡田2005: 140)

  1. 完全アクセス仮説(full access hypothesis)
  2. 部分アクセス仮説(partial access hypothesis)
  3. ゼロアクセス仮説(no access hypothesis)

完全アクセス仮説とは、第二言語獲得においても第一言語獲得の場合と同様の役割をUGが果たすという仮説である。部分アクセス仮説とは、第二言語獲得に際しては第一言語用にすでにパラメータ値を設定されたUGにアクセスできるという仮説である。ゼロアクセス仮説とは、第二言語獲得ではUGが第一言語獲得のような役割をまったく果たさないという仮説である。これらの仮説はいずれも決定的な証拠を欠いており、証拠があったとしてもこれらの知見を直接的に英語教育に応用できるわけではない。(岡田2004)

外国語習得モデルの捉え方

第二言語獲得が第一言語獲得と現象的に異なることは、従来からよく知られている。斎藤(1971)は、外国語習得においても、Chomsky(1966)のモデルを想定してよいと述べている。斎藤によれば、母語の獲得と外国語の習得で異なるのはADの機能ではなく、外界の違いであるいう。たとえば、日本で英語を学ぶ場合、英語のPLDは教師が意図的につくり出していく必要がある(伊藤1982)。このため英語学習においてはPLDは質的には不自然であり、量的にも絶対的に不足する。また、伊藤は母語の獲得は無意識的であるのに対して、外国語の習得は意識的であり、かつ言語使用もコミュニケーションのためというよりは言語習得のためという側面が強くなることを指摘している。
これに対して、早坂・戸田(1999)は母語獲得後はADが十分には機能しなくなるという立場をとる。このため外国語習得における言語入力はPLDではなく、精選し体系化された言語資料(selected or systematized linguistic data;SLD)であると指摘している。

SLD2→[AD]→G2

このモデルの「2」という数字は母語第一言語)ではない「第二言語」であることを意味する。早坂・戸田は従来の学校文法はSLDとして機能するものであったと指摘している。早坂らによれば、臨界期後のLADに与えるべき言語資料はPLDのような周囲からのランダムな言語入力ではなく、かつ従来の学校文法に見られる体系的な言語資料から文法を帰納的に抽出させるのでもなく、文法のモデルを与えることによって演繹的に文法能力を養成すべきであると主張する。

M(G2) → (AD) → G2 (早坂・戸田1999: 14)

阿部(1994:46)では次のようなモデルを取り上げている。

①Language Input→②Mental Process→③Language Output

阿部がこのようなモデルを取り上げているのは、外国語学習においてUGの問題はとりあえず不問にするとしても、入力と出力をそれぞれ刺激と反応として捉える習慣形成説では理論的に不十分なのは明らかであるからである。このことは教師がある項目を提示しても、学習者がそれをそのままの形で再生する保証がないという経験的事実に裏付けられる(田中・阿部1988-89)。

Language Inputと学習文法

すでに述べたように、母語の獲得と比べて、外国語学習ではPLDの質と量が著しく低下する傾向がある。このために言語資料の体系化が必要と考えられるようになった。これが現状の学校文法である。さらには、こうした学校文法を見直し、文法のモデル、すなわち文法知識の体系の全体像を学習者に提示するべきという主張までなされている。
SLA研究では以前から、「どのような入力が学習され、またどのような入力が学習されにくいか」(田中1987:3)という問題に関心が向けられている。学習文法においては文法項目の中で、何が学習されやすく、何が学習されにくいかという問題に加えて、明示的な文法学習により得た知識と実際に聞いたり読んだりする活動の中で得た知識では処理のされ方にどのような違いがあるのかということも重要な問題である。
Krashenは言語入力について、非明示的で無意識的な「習得」(aquisition)と明示的で意識的な「学習」(learning)を区別し、前者のみが言語運用能力の獲得につながり、後者の役割は極めて限定されたものとなるという立場をとる。田中(1987)が言うように、教室での英語学習は明示的なものになる傾向があり、実生活で身につける言語知識は非明示的なものになる傾向があるから、Krashenの立場に立てば従来のような形での文法指導が果たす役割は非常に小さいものとなる。
Krashenによれば習得とは意味重視の過程であり、i+1という言語入力は文脈や言語外情報によって理解されるという。しかしWhite(1987)は、文法能力は意味や文脈によってのみ習得されるものではなく、またi+1となるように調整された言語入力では習得に有害となる可能性を指摘し、言語構造についての指導や誤りの訂正が言語習得を促進すると述べている。
これに対してMclaughlin(1978)はKrashenの意識・無意識という基準で習得と学習を区別するのは曖昧であるとして、「制御的処理」(controlled process)と「自動的処理」(automatic process)という区別を設けている。制御的処理とは積極的な注意を要する、短期記憶による過程であるのに対し、自動的処理は注意を要しない、長期記憶による過程である。Mclaughlinは学習によって制御的処理から自動的処理に移行するという立場をとる。自動的処理は確立されるまでにかなりの時間がかかるが、一度確立してしまえば変えにくいものである。Mclaughlinの立場に立てば、明示的な文法知識も制御的処理の下で繰り返し使用することで内在化し、自動的処理に移行させることができるため、Krashenの仮説の場合よりも文法学習に積極的意義を見いだすことができる。
井狩(2006)は、脳科学の立場からKrashenの見解を否定している。脳全体、特に前頭前野が活発に活動する意識的な処理から、脳の一部のみが活動する無意識的な処理へ移行するというのが猪狩の見解である。これはMcLaughlinの考えを支持するものといえる。さらに井狩は、こうした移行を可能にするためには、適切な言語使用環境を確保することが大切であると指摘する。
このような点を踏まえると、言語入力には言語知識の提示とその知識を運用するための手順の提示が必要で、その手順通りに繰り返し練習していくことが必要であることが考えられる。斎藤(1971)は構造練習を中心とする「言語能力練習」と場面との関係を重視した「言語運用練習」という2種のエクササイズを想定しているが、この考えは現在の脳科学の研究結果に沿うものであると。スピーキングの指導であれば、パターンプラクティスがコミュニカティブな言語活動とともに有効であり、リーディングの指導であれば、文脈をある程度捨象した、短文による英文解釈練習の有効性が再評価されるべきであることを示唆している。
田中(1987)は、言語入力の認知処理されやすいものとそうでないものの基準として、「言語間のずれ(cross-linguistic differences)」「統語的複雑さ(syntactic complexity)」「意味的複雑さ(semantic complexity)」「関連性(relatability)」の4点を挙げている。とりわけ大学入試レベルの英文理解においては、統語的複雑さが学習者を悩ませてきたため、早くからその対策が講じられてきた。その方法のなかには既習の単純な統語形式とより難解な統語形式との関連づけるやりかたがみられた(伊藤1965)。

Mental Processと学習文法

心的過程(Mental Process)とは、学習者が学習した内容を心の中でどう捉えているかという心的表象(Mental Representation)と、その表象をどのように使用していくかという情報処理(Information Processing)という2つの過程から構成されている(阿部2004)。
田中(1987)は心的表象のうち重要なものとして、「誤った表象(misrepresentation)」「データ収集と規則の形成(data-gathering and rule-forming)」「全体的と分析的表現(holistic and analytic)」「知識の自動性(automaticity of knowledge)」の4つを挙げている。
受験英語における英文解釈に即して考えるならば、教師が提示した文構造解析と同じような処理を、学習者が英文を読む際に実行できるかどうかということがまず問題になる。さらにSやVなどの記号を振ったり括弧で括ったりしながら読む読み方から、より自然な英文理解へと導いていくには、どのような要素が関与するのかということにも目を向けていく必要がある。

Language Outputと学習文法

阿部(1994)の外国語学習モデルのなかに既存の学校文法を位置づけた場合、阿部は言語入力と言語出力(Language Outout)を体系化したものと見なしている。ただし、その体系化は部分的で不完全であるという。ここで言う言語出力とはChomskyのモデルで言うG(=linguistic competence)のような潜在的な言語知識ではなく、実際の言語使用に耐えられる状態で学習者が蓄積している言語知識であると同時に、実際に学習者が使用する言語知識でもある。だとすると、言語出力からの体系化は言語入力からの体系化よりも断片的で不完全であることが考えられる。早坂・戸田(1999)が既存の学校文法を言語入力の対象となる言語資料を体系化したものであると指摘しているのは、このためであろう。
阿部は、それまで未整備に近かった心的過程を考慮した形で文法を再構築していくことを提案している。しかし、現実には言語出力の考慮も十分ではない。また、再構築した文法はあくまでも言語入力のための資料の一部となることを忘れてはならない。しかも、この問題はいわゆる「コミュニケーション文法」の構築だけでなく、読解文法にもあてはまることである。

参考文献

  • 阿部一(1994)「英語学と教育文法」『現代英語教育』30(13) pp.44-47.
  • 阿部一(2004)「英語教育における「認知的」な立場とその知見の応用可能性」『獨協大学英語研究』60 pp.333-355.
  • Chomsky, N. (1966) Topics in the Theory of Generative Grammar. The Hague: Mouton.
  • 原口庄輔・中村捷(1992)『チョムスキー理論辞典』研究社出版
  • 早坂高則・戸田征男(1999)『リストラ英文法』松柏社
  • 井狩幸男(2006)「英語教育に役立つ脳科学」『英語教育』55(7) pp.25-27.
  • 伊藤克敏(1965)「変形理論の英文理解への応用」『英語教育』13(12) pp.5-7.
  • 伊藤健三(1982)「言語観と英語教育」伊藤・島岡・村田『英語学と英語教育』(英語学大系12)大修館書店.
  • レネバーグ, E. H. (1972)「言語の生物学的基礎」神尾昭雄訳,レスター(編著)『応用変形文法』大修館書店.
  • Mclaughlin, B. (1978) "The Monitor Model: Some Methodological Consideration," Language Learning, 28(2) pp.309-332.
  • 岡田伸夫(2004)「UG-based SLA研究と英語教育」『英語教育』53(6) pp.12-15.
  • 岡田伸夫(2005)「言語理論と言語教育」大津・坂本・乾・西光・岡田『言語科学と関連領域』(言語の科学11)岩波書店
  • 藤武生(1971)「変形文法と外国語の習得」『英語教育』19(11) pp.12-15, 86.
  • 田中茂範(1987)「外国語学習における意味発達:単語の学習」田中茂範編著『コアとプロトタイプ』三友社出版,pp.3-22.
  • 田中茂範・阿部一(1988-89)「外国語学習における言語転移の問題」『英語教育』37(9-11).
  • White, L. (1987) "Against Comprehensible Input: the Input Hypothesis and the Development of Second-language Competence," Applied Linguistics 8(2) pp. 95-110.

チョムスキー理論辞典

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リストラ・学習英文法

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応用変形文法

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岩波講座 言語の科学〈11〉言語科学と関連領域

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