持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

日本語の習熟と英語学習の開始時期

文化コンテクストとコミュニケーション

文化人類学者のE.ホールは異文化コミュニケーション研究に「高コンテクスト」(high context)と「低コンテクスト」の概念を導入した。日本文化は高コンテクスト文化であり、言語の役割が相対的に小さく、その場の雰囲気から情報を読み取ることが求められる。これに対して欧米の文化は一般的に低コンテクスト文化であり、言語の役割が大きく、レトリックが古くから発達している(石井1987)。
同じ言語コミュニケーションでも、話し手と聞き手が直接向かい合う場合の方が文章によるコミュニケーションよりもコンテクストへの依存度が大きくなる。したがって日本語でも書き言葉の場合は言語をより的確に用いることが求められる。逆に英語でも話し言葉の場合は場面に依存することが多くなる。

英語の学習開始時期への示唆

書き言葉は、自分の考えを的確に伝え、相手の考えを的確に受け止める際に、どうしても言葉を正しく運用することが求められる。もちろん話し言葉でも同様の傾向があるものの、コンテクストへの依存度が大きい分だけ言葉を用いることの負担は軽減される。吉田(1994)によれば、会話では構造分析を必要としない「決まり文句」が多用されるという。そして日常生活の大部分は予測可能な「スクリプト」からなっているため、文法規則よりも談話規則、すなわち会話の流れの方が大切であると指摘している。こうした考えに立てば、簡単な話し言葉であれば、日本語の日常会話がある程度できるようになった段階で学習を開始してもいいのではないかという判断ができる*1
これに対して、書き言葉は日本語であっても学校教育(国語教育)によって体系的にその技術を学習する必要があり、日本語による文章能力がある程度身に付いた段階から学習を開始した方が効果的ではないかという見通しが立つ。そしてリーディングやライティングの学習と平行して、ディスカッションやディベートなど、話し言葉でもより高度なレトリックが求められるものを学習していくとより効果的と思われる。

参考文献

  • 石井敏(1987)「言語メッセージと非言語メッセージ」(古田暁(監修)『異文化コミュニケーション』有斐閣に所収)
  • 吉田研作(1994)「話しことばの文法と語法」『英語教育』43(7) pp.28-30.

*1:ただし、日本で生活していると日常会話で実際に英語を使う機会は少なく、日常会話の場面を経験することができないため、日常会話に不自由しないレベルに到達するのは意外に難しいものである。よく「日常会話程度の英語なら話せます」という人がいるが、それがもし事実であれば、英語圏での生活経験があるか、日本語でも相当無口な生活を送っているかのどちらかである。