持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

「英文法学習を潰す国文法」という問題

ちょっと古いアンケートから

愛原(1981)には、中学校の国語教師が生徒に対して行った、文法教育に関するアンケートの結果が引用されている。まず「ことばのきまり」についての学習、すなわち文法学習の好き嫌いに関する質問の回答が挙げられていて、3学年とも7割以上の生徒が嫌いと答えている。そして嫌いな理由として次のような点が挙げられている。

  • 英語の文法とごちゃ混ぜになって理解できない。
  • 暗記することが多すぎで混乱する。
  • 基本事項が理解できても応用がきかない。

国語学習において文法に対してこのような印象を抱いてしまうと、英文法に対しても同様な否定的イメージを抱きがちになることは、容易に想像できる。日本語は英語と違って生徒にとって日常言語であるのは確かだが、吉田(1994)が指摘するように日常の話し言葉の大部分は分析不要の決まり文句であるために、中学レベルの英語で文法学習の必要性を生徒が見いだせない可能性は十分にあり得る。

英文法と国文法で混乱する生徒たち

英文法と国文法を平行して学習する生徒が混乱してしまうのは、日本語と英語のどこが似ていて、どこが違うのか、ということが明確に理解できないからである。日本語と英語には違うところがあるということは、誰にでも分かる。しかし、どう違うのか、ということが分からないまま2言語の文法学習を同時に行うことは、生徒にとっては苦痛でしかないであろう。
日英語の違いは理解できないのは、どちらの文法も、特に国文法において文法指導を品詞論から始めているからである。国文法では語論・文論・文章論という区分が用いられることが多く、それをボトムアップで配列するシラバスが一般的であるため、どうしても品詞論から入ることが避けられなくなる。だが、両者を文論から始めるようにし、英文法を学習する際に日本語の文構造と対比させながら提示するようにすれば、生徒はふだん使っている日本語の構造を再認識し、日本語との関連の中で英語の文構造を理解することができるようになるはずである。

国文法が役に立っていない現実

生徒側は国文法の学習をしても役には立たないと考えているようであるが、教師の側もそのような認識でいることが多いようである。愛原(1981)は文法指導の目的を、言語への関心を高めること、表現力向上に役立てること、理解力を高めるために役立てることの3点考えているが、表現力や理解力の向上に積極的に結びつけていこうという意図はないようである。これはこのブログでも以前触れた、時枝(1950)が掲げている文法学習の目的とは異なる。時枝は言語運用に応用できてはじめて文法学習の目的が達成されると考えている。
言語への関心を高めるという、いわゆるメタ言語能力の育成は確かに重要であり、英語などの外国語学習の際に意識的な文法学習が有効に機能するためには、日本語のメタ言語能力が重要な役割を果たす。しかし、そのためには外国語教師が母語の知識を持ち、母国語教師が外国語の知識を持つことが必要である(森山2006)。
文法指導が明示的である以上、表現力や理解力の向上という目標を掲げていても、メタ言語能力の向上にも関与することは避けられない。明示的文法指導とは、あくまでも知識を授けるものなのである(森2004)。森も国語教育における明示的文法指導の目的の1つに、外国語教育への準備として位置づけることが有効であると示唆している。だが、現状の国文法はそうした目的に適ったものとは言い難い。

参考文献

  • 愛原豊(1981)「文法教育はどうなっているか」『言語』10(2) pp.36-41.
  • 森篤嗣(2004)『学校文法拡張論−インダクティブ・アプローチに基づく文法教育の再構築』大阪外国語大学博士論文.
  • 森山卓郎(2006)「文法研究と文法教育との接点−日本語研究の立場から−」『日本語学会2006年度春季大会予稿集』pp.29-32.
  • 時枝誠記(1950)『中等国文法別記口語編』中教出版.
  • 吉田研作(1994)「話しことばの文法と語法」『英語教育』43(7) pp.28-30.