持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

教師のレディネスなど

今回は、論文調の文体ではなく、個人的な語りを・・・
まあ、ブログですから(笑)

日本語についての知識不足

前回までの学習国文法論のなかでときどき言及している森氏の論文に、文法教育の再構築が進まない要因の1つに「教師のレディネス」が挙げられている。つまり、国語教師が学校文法以外の文法知識を持ち合わせていないということ。私自身が平均的な国語教師に抱く印象もまさにそうなのだが、同時に自分自身の「レディネス」に疑問を抱いた。
このブログでもこれまで展開してきた学習英文法論のように、国文法についても議論していければよいのだが、今の私にはそれだけの日本語文法の知識を持ち合わせていない。英語教師が日本語に関する専門的知識を持たなくてもよいのでは、という意見もあろう。しかし、学習者と母語を同じくする教師が外国語を教えるメリットは、学習過程における言語転移を熟知していることにより、より効果的な学習活動に導くことができる点にある。

私の日本語“ザッピング”歴

私は、大学で、日本語学・国語学や国語教育に関する単位はまったく取得していない。浪人時代に古文を勉強していたときに、古典文法を入れ子構造で説明する方が予備校にいらっしゃたので、時枝誠記という名前は記憶していた。大学2年の時に、都内の某書店で時枝の『日本文法口語編』を見つけて購入した。その後、大学の春休みに地元の図書館で『国語学原論』などを読み込んだ*1。時枝以外では山田孝雄の『日本文法論』なども読んだ。
大学卒業後は、仕事で移動する途中に三崎町の日本書房の店先にあるワゴンを覗いては、『国文学』『解釈と鑑賞』『日本語学』『言語生活』などのバックナンバーを買い込んで読んだ。1回数百円の投資でいろいろ勉強させてもらったと思っている。こうした読みかじり以外は、友人に付き合って日本語関連の学会にたまに出かけるくらいである。
上記の雑誌の類は、独学で概要を知るにはうってつけである。記事の執筆者による単行書への導入のような役目も果たしていると言えよう。もっとも、私がここで書いていることのベースになっているものの多くは英語学も含めて独学によるものであるが・・・*2

*1:埼玉県立熊谷図書館には、その意味で感謝している。

*2:だから、大学の学部って4年も通う必要があるのか疑問である。