持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

日本語文法の体系的知識(その4)

活用と助動詞・助詞

すでに見たとおり、学校文法の活用には問題点が多い。しかし、活用を見直すということは、助動詞や助詞をどう捉えるのかということと一体で考えていかなければならない(国立国語研究所1978)。つまり、学校文法で「語幹−活用語尾−助動詞・助詞」と分析されるものを、どのように捉え直すかということに行き着くのだ。この問題は見方を変えると、英語の過去形、完了形、進行形に対応する日本語にそれ以上の分析を加えることが、果たして学習者の利益になるのかどうか、ということとつながってくる。学術面から見たときに分析する意義があるということと、教育面で見たときに意義があることとは違う。その意味では、助動詞を語として認定しつつも、動詞に助動詞の付いたものを「活用連語」として体系化した芳賀矢一の試みなどは非常に興味深い(宮島2008)。
活用形自体が意味を持つのか。少なくとも、研究者レベルではなく、学習者レベルで実感できるような意味を持つのだろうか。時枝(1950)は、活用現象は陳述の機能を含むが個々の活用形に固有の陳述の意味があるわけではないと歯切れが悪い。これに対し、三浦(1976)は活用はあくまでも他の語との接続の関係で生じる形態上の変化であり、特別な意味を持つものではないと言い切る。この立場に立った場合、学習文法として活用を教えることに積極的な意義を見いだすことが困難になる。そうなると、芳賀矢一の活用連語の流れをくむ考え方が有効な手だてということになってくる。すなわちそれは、助詞や助動詞のほとんどを、独立の語とは認めずに文法機能を担う部分だと考えるということになる。活用論の再編は品詞論の再編に波及するのだ。

参考文献

日本語はどういう言語か (講談社学術文庫)

日本語はどういう言語か (講談社学術文庫)

日本文法 口語篇 (岩波全書 114)

日本文法 口語篇 (岩波全書 114)

ちょっとひとこと

専業国語教師の仕事はモノリンガルであるから、このような大がかりなことに関心が及ばないのかもしれない。だが、もし「英語教育よりもまず国語が身についていないと…」と主張するのであれば、国語力の基盤となり、かつ外国語学習を支えるメタ言語知識として機能するような文法知識は必須である。そのためには、こうした国文法の再構築を進めていくべきではなかろうか*1

*1:まずは隗より始めよ、ということで、少しずつ試みている。