持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

認知言語学と学習英文法(その1)

認知言語学の学習文法に対する貢献

認知言語学が学習文法にもたらした恩恵は、意味を明示的に扱えるようになったことである。従来の学校文法では、雑多な規則の暗記が強いられていた。しかも暗記した知識を実際の言語活動で使用する規準を明確に提供する力が学校文法には乏しかった。認知言語学は英語を母語とする者の言語使用を背後にある原理を明らかにすることに成功した。生成文法はこれを主に形式的側面、すなわち語順の面からアプローチしたが、認知言語学では意味の面からこの問題に切り込んだ。このため、「こういうときにこういう形式を用いる」という使い分けの規準を明確に示すことが可能となった。佐藤他(2007)は「健全な教育英文法」(sound pedagogical grammar)の条件として、指導可能性(teachability)、学習可能性(learnability)、使用可能性(usability)の3つを挙げている。この3つの条件を意味論の拡充という形で満たすことに、認知言語学が一定の役割を果たしたのだと言える。

認知言語学を中心に据えた学習文法の限界

認知言語学の貢献は、同時にその限界も明らかにした。意味を明示的に扱うということは、学習者にとってはありがたくもあり、迷惑でもあるのだ。なぜならば、元来目に見えないものを目に見える形で示す以上、どうしても抽象的な説明に陥りがちだからだ。コアという概念は、ある言語形式の中核的な意味であり、言語形式を使い分け、使い切るのに極めて有効なものである。しかし同時に、文脈を捨象した中核的意味は、高度に抽象的である。かつて伊藤(1997:55)が、「従来から重要とされてきた構文や、その存在に気付かれていなかった構文のいかに多くが、「新しい」観点により統一的体系的に説明できるかを誇示することに熱中するあまり、それが果たして学生に必要であるかどうかに思いいたらなかったのである」と述べていた。認知言語学をベースにして書かれた学習文法書の多くが、伊藤と同じ過ちを犯している。田中(1993)や阿部(1998)は、大人が英語を学習するには文法抜きで学習するよりも、文法という理屈を身につける方が効果的であるという。思春期を過ぎると抽象的な思考力が高まるのに対して自然に言語を身につける能力が衰えていくからだというのだ。だが、思春期以降の学習者の多くは彼らのテクストを理解するだけの文章理解力もなければ、彼らの文法を理解するだけのメタ言語能力もないのだ。
認知言語学ベースの学習文法の問題点は、もうひとつある。言語形式の軽視である。静的な規則の集合体であった従来の文法からの反動なのであろう。また、こうした文法が「大人の英語学習」のためのものであったということも作用しているのだろう。こうした姿勢は、従来の文法を一通り身につけた学習者が知識の整理をし、活用できるようにすることに貢献するであろう。しかし、英文法を初めて学ぼうとするものに対してはあまりにも無力である。従来の学校文法は、すべての学習者が習得できることを目指してはいない(松田1973、渡部1988)。学習文法は、すべてとは言わずともより幅広い学習者にとって学びやすいものでなければならない。言語形式は目に見えるものである。語順の背後にある規則性は目には見えないが、語順そのものは目に見えるものである。それにもかかわらず、認知言語学ベースの文法は、ふだん日本語を使用して生活するわれわれがもっとも認識しづらい「英語話者のこころ」から出発している。これでは従来の学校文法と同様、多くの学習者を排除してしまうのではないだろうか。

参考文献

  • 阿部一(1998)『ダイナミック英文法』研究社出版
  • 伊藤和夫(1997)『予備校の英語』研究社出版
  • 松田徳一郎(1973)「伝統文法の再評価−文法指導の視点」『現代英語教育』10(2) pp.4-6.
  • 佐藤芳明・河原清志・田中茂範(2007)「レキシカル・グラマーへの誘い:新しい教育英文法の構築に向けて」『英語教育』56(1) pp.46-48.
  • 渡部昇一(1988)『秘術としての文法』講談社
  • 田中茂範(1993)『発想の英文法』アルク

予備校の英語

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秘術としての文法 (講談社学術文庫)

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発想の英文法―チャンクだから話せる

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