持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

古典文法と古文理解(その1)

古典文法の役割

古文の理解には古典文法の知識が必要であると一般に考えられている。金水(1997)は古典文法の役割について現代語文法と対比させながら次のように述べている。

学校文法に基づく古典解釈のメソッドが確立された結果、文法は完全に暗記の学問となってしまった。古典ではまだ学校文法が実効的に働くからいいのであるが、学校文法の現代語文法は実は古典文法を導入するための仮構された悪しき折衷と妥協の産物であり、辞書の品詞分類以外にはほとんど役に立たない。(金水1997:122)

金水の指摘から、古典文法は古文理解のために必要ということが暗黙の了解のようにも思えてくる。渡部(1981)も「古文の文法なら多少存在理由がわかる。「係り結び」などというものを知らないと訳せないこともある。」(2)と述べている。だが、この問題についてはっきりしていないことも多い。古典文法が古文理解のために必要だとするならば、学習者は何を、どの程度学習すればよいのか。また、その学習法は暗記によらなければならないのか。金水は古典解釈の手段として学校文法が普及した結果暗記の対象となったと言うが、解釈上必要な知識であるということと、それを暗記という学習活動で習得するかどうかは別の問題である。
古文理解に古典文法の知識が必要だとしても、自力で古文を理解することが学校教育においてはたして重要なことなのかという問題もある。高木(1997)は文学教育と語学教育を分離分化させて行うべきだと説き、古典においても「古典文学の教育」と「日本の古代語の教育」を分けるべきだと主張する。古典文学の教育においては、その基礎となるものはテクストを支える文法知識ではなく、現代語訳によるテクストの理解なのである。このように文学教育と語学教育の分離が主張される背景には、文法知識に基づく古文理解では文法知識の習得に時間がかかりすぎて、作品全体を見渡すことが困難になっているという実態もあるのであろう。

理解のための文法

理解のために学ばれるはずの文法知識を学習するために時間がかかってしまい、古文理解という本来の目的が達成されないというのであれば、古語の学習文法のあり方を見直す必要がある。高橋(1988)は、古文を読むために必要な文法とは、動詞・形容詞・助動詞の活用と、助詞・助動詞の接続の知識だけで十分であるという*1。高橋の指摘は明快に思えるが、テンスやアスペクトをはじめ、文法の重要概念がこの中に多く含まれており、その現代語との異同を明らかにし、学習者に提示しやすい文法としなければならない。

参考文献

  • 金水敏(1997)「国文法」益岡・仁田・郡司・金水『文法』(岩波講座言語の科学5)岩波書店
  • 高木一彦(1997)「なにのための古典教育か」『国文学解釈と鑑賞』pp.62(7) pp.21-28.
  • 高橋正治(1988)『古文読解教則本−古語と現代語の相違を見つめて−』駿台文庫.
  • 渡部昇一(1981)「魅力ある日本語文法」『言語』10(2) pp.2-3.

岩波講座 言語の科学〈5〉文法

岩波講座 言語の科学〈5〉文法

*1:ここに「形容動詞」が含まれていないのは、高橋が時枝の枠組みで指導しているからである。