持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

古典文法と古文理解(その2)

古典文法の定義

そもそも、「古典文法」とは何であろうか。鈴木(1995)によれば、古典文法とは中学校や高校で扱われる古典語に関する文法であるという。ここで鈴木は「古典語に関する文法」と言っているが、これは古代日本語の文法を基盤として確立された文章語の文法であると定義している。古代語というのは主に上代・中古の日本語を指すが、これには概念上は当然、話し言葉と書き言葉が含まれる。こうして考えると、英文法と同様に古語の文法においても研究者レベルで扱われる文法体系と学習者レベルで触れることになる文法体系とは異なることがわかる。国語史的に分類すれば、古い方から順に上代語、中古語、中世語、近世語、近代語、現代語という区分が立てられる。区分が立てられるということは、それぞれに特色があるということでもある。しかしこれは研究上の立場である。学習文法としての古典文法は、現代語文法と対比される単一の体系である。すると、現代語からの類推が働くかどうかが広義の「近代語」と「古代語」との境界線となる。前田(1998)は、現代語とは異なる言葉のきまりを知らなければ理解できない言葉を「古代語」として括り、上代から鎌倉時代までを古代語に収めている。

古典文法の問題点

古典文法の最大の問題点は、古典を学ぶための文法になっていないということである。これは、古典のテクストを読むための文法になっていないということと、現代語との対比の中で日本語そのものへの理解や関心を深めていく文法にもなっていないということとの2つの意味を持つ。古文理解のための文法ということであれば、その目的のために最適化された記述や提示を考えていく必要がある。また日本語の内省へと学習者を導くのであれば、学習者の「なぜ」に答えられるような文法でなければならない。
かつての英文解釈法が熟語的な特殊構文ばかりを取り上げがちであったように、古典文法においても、特殊な用法が重視され、体系的なものになりにくくなっている(青木1997)。古語において、文の構造がどのようになっているのかなど、文法の根幹にあるべきものをやはり学習文法の中枢に据えるべきで、それでこそ、現代語との対比や、文理解につながっていくのではなかろうか。もっとも、そのためには古語のみならず、現代語の学習文法の再構築も必要である。

参考文献

  • 青木和夫(1997)「古典の教育と古典語文法の教育」『国文学解釈と鑑賞』62(7) pp.29-36.
  • 前田富祺(1998)「今なぜ古典文法か」『国文学』43(11) pp.6-12,
  • 鈴木康之(1995)「古典文法はどこに問題があるのか」『国文学解釈と鑑賞』60(7) pp.6-13.