持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

日本語が読めれば、英語も読めるのか

日本語と英語の文章構成

田中(1989)の副題には、「日本語が読めれば英語が読める」と銘打ってある。伊藤(1995)は「文章の書き方に洋の東西でそんなに差があるはずはない」(113)という。この考え方を取れば、英語が読めるようになるには日本語と英語の最小限の違いに習熟しさえすればよいということになる。ここでいう「最小限の違い」とは、語順の違いをはじめとする文文法の体系である。構文主義という考え方の根底には、おそらく語順の違いにさえ対処できれば日本語話者が英語を読むことが可能になるはずだという、ナイーブな前提があるのだろう。だが、日本語の文章と英語の文章の違いを生み出すのは語順だけではない。日本語と英語で読むという行為に差があるわけではないという田中でさえ、文化の違いによって文章の構成の仕方が違うことを指摘している*1
日本語と英語の文章構成の違いを考えていくうえで重要なのは、段落の位置づけである*2。谷口(1992)は、パラグラフが英語の文章の根幹をなし、古代ギリシャ・ローマ以来の伝統を持つレトリックにおいても重視されていることを指摘している。アメリカではこうした知識や技術がコンポジションとして学校教育で教えられている。日本でも森岡(1962)のように作文教育をコンポジションのように組織化することを提案されることがあったが*3、それでも日本語と英語の文章構成が共通のものになったわけではない。市川(1959)や金岡(1964)は、日本語の文章において、段落の区切りが内容上の区切りに基づいて規則的に行われているわけではないことを指摘しており、金岡にいたってはそうした形式段落を手がかりに読解を行うことが有益ではないとも言っている。

読解方略の違い

文章の構成が日本語と英語で違うということは、同じ目的で文章を読む場合でも、日本語と英語では読解方略に違いが生じてくるということでもある。だとすれば、やはり日本語が読めれば英語が読めるということが言えるのか。言えるとするならば、日本語の読解力に何をプラスすれば英語の読解力となるのか。また、英語の読解力のために日本語の読解学習で行うと効果的な学習活動があるのか、あるとするならばそんな活動なのか。そういったことと考えていく必要があるようである。

参考文献

  • 市川孝(1959)「文章構造の考察」『国文学解釈と鑑賞』24(7) pp.73-78.
  • 伊藤和夫(1995)『伊藤和夫の英語学習法』駿台文庫.
  • 金岡孝(1964)「主題と構成」森岡他(編)『読解と鑑賞』(講座現代語3).
  • 森岡健二(1962)「コンポジションと作文指導」『国文学』7(13) pp.24-31.
  • 田中知英(1989)『理論と応用・新英文読解術』テイエス企画.
  • 谷口賢一郎(1992)『英語のニューリーディング』大修館書店.

*1:このブログではすでに、http://d.hatena.ne.jp/ownricefield/20051124#p1http://d.hatena.ne.jp/ownricefield/20060207#p1で扱っている。

*2:このことは、http://d.hatena.ne.jp/ownricefield/20051123#p1でも触れている。

*3:このことは、http://d.hatena.ne.jp/ownricefield/20060327#p1でも触れている。