持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

解釈学的国語教育

「解釈学」とは何か

日本の国語教育において解釈学的思潮が隆盛を極めた時期がある。輿水(1958)によると、昭和初期から終戦までの時期がそれにあたる。「解釈学」とは元来は古い文書をいかに解釈するかを研究する学問であった。この文献解釈の方法には「文法的解釈」「心理的解釈」「歴史的解釈」の3つの方法がある。「文法的解釈」とは、わからない語句を文脈から明らかにし、多くの文献での用法・用例からその意味を確定させていくというものである。「心理的解釈」とは、文献の著者の立場や考え方からその意図を把握しようとするものである。そして「歴史的解釈」とは、作品の時代背景から解釈を試みるものである。輿水はこうした解釈技術が学問的に集成されたものが解釈学であると定義している。

解釈学的読み方の問題点

輿水によれば、国語教育の方法論として解釈学が用いられたのは教材の深い意味を読み取り解釈する力をつけさせようとしたからだという。その読み取りの深さは作者よりも深くあることが求められたという。このような「深い読み」は大人の読みの押しつけになる危険があることを輿水は指摘している。

古典教育と解釈学

国語教育における解釈学的思潮の隆盛は古典教育の隆盛と結びついていた。満州事変を発端とする戦争へ向かう時代であり、民族意識が盛んになっていた時代であった。このため、解釈学的読み方は民族の使命の自覚と結びつけられ、結果として戦後は廃れてしまった。

古典教育の現代的意義

テクストの「理解」を超えた「解釈」を強要するのは好ましいことではない。しかし、古文や漢文の理解には現代語とは違う言語知識が必要であるし、現代語の文章とは異なる社会文化的コンテクストを捉えることが必要である。学習者にとって、テクスト理解のための前提がゼロに近いところからテクスト理解を目ざすことによって、「理解」がどういうことであって、「理解」に何が必要なのかを知ることは意義のあることである。そうした「文章理解モデル」を体感させるための古典教育というのも、1つの方向性として考えてよいのではないかと思うのである。

参考文献