持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

助詞「が」について

主語ではなく補語

中島(1987)によれば、現代の日本語における「が」の用法は、英語の主語とはかなり性質の違うものであるという。英語の主語は主題を表し、述語は主語に対する陳述を表す。このため、何かの存在を伝えるような文では主題となる主語がないために、thereを文頭に立てる。

  • 存在文:
    • 昔むかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
    • Once upon a time there lived an old man and wife.

自然現象も話し手が目で見たものを描写するわけだから、主題となる主語がないため、いわゆる非人称のitを立てる。

  • 自然現象:
    • 雨が降っている。
    • It is raining.

感覚や情意を表す文の場合、中島は、日本語では常に話し手の観点から表現するため、「私は」は表現する必要がないと主張する。これに対して、英語では主語の観点からの表現となるため、Iが必要であるという。

  • 感覚現象:
    • おなかがすいた。
    • I am hungry.
  • 情意現象:
    • 犬が好きだ。
    • I am fond of dogs.

これらの文では、日英語で三人称の扱い方に大きな違いがある。英語では動詞の語形を人称に合わせて変えるだけでよいが、日本語ではそれよりも大幅な言い直しが必要となる。

    • He is hungry.
    • 彼はおなかをすかせている。

こうした現象から、中島は日本語には、英文法で言うような主語がないという結論を得ている。中島は日本語のこのような現象を、文全体が述語であるという言い方で説明しており、述語に関係する「が」のついた名詞を主語ではなく補語であると指摘する。

主語と主格

中島(1987)は、上に挙げた「が」のついた名詞を述語に対して主格の関係であるという言い方をしている。主格は英語の用語では、subjectiveであり、主語はsubjectである。両者の関係を三上(1963)は次のように整理している*1

  • 英語のsubjectiveはsubjectである。
  • 日本語のsubjectiveはsubjectiveにとどまる。      (三上1963:192)

三上は、主格は主語を含む広い概念であり、日英語に共通のものであると指摘している。また、三上はこのような日英語における「主語」の性質の違いを学習文法で扱いためには、別々の用語をあてなければ、この相違を学習者に明確に示すことができないと主張している。しかし、中島(1987)も「主格」という用語を用いることに若干のためらいが感じられる。このあたりは、教師向けの記述はともかく、学習者向けの提示ということになると、難しいところである。

参考文献

日本語の論理 (三上章著作集)

日本語の論理 (三上章著作集)

日本語の構造―英語との対比 (岩波新書)

日本語の構造―英語との対比 (岩波新書)

*1:三上(1963)では、中島が当時の『英語青年』の記事で同様の指摘をしたものに言及している。