持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

文章を書くということ①:樺島忠夫の場合(その1)

文章表現の基本姿勢

樺島(1973)は、文章をコミュニケーションのためのものと言い切っている。この立場は、それまでの、作家による文章読本の立場とは一線を画すものであると言える。樺島(1980)では、作家の文章読本では、一般の人が小説以外の文章を書こうとするときの悩みは解決できないと述べている。このような、小説以外の一般的な文章では、明快な文章であることが重要であると説く。明快な文章とはいかなる文章であるのか。樺島(1973)では、明快な文章を書く上での注意点として、次の5点を挙げている。

  • 自分にわかっていることも省略しないで書く。
  • わかりやすい語句、できるだけ具体的な語句を使う。
  • 文は短く切って書く。
  • 読みやすさを増すように、漢字・かなの配分、句読点の利用を効果的に行う。
  • 段落をはっきりと区切って書く。

(樺島1973:31)

これらの5点からわかることは、読み手の存在を強く意識しているということである。樺島(1983)は、書く意図に応じて、読み手を理解させたり、納得させたり、感動させたりする文章が、良い文章であるとしている。こうした指摘は、特にめずらしいものではないかもしれないが、音声言語によるコミュニケーションと違ってどうしても、受け手の存在を忘れがちな書き手が多いことも事実であり、一般の人には非常に有効な助言であると言える。

「文章が書ける」ということ

一般に、「文章が書ける」というと、「言葉で表現する能力や技術を持っている」というイメージが抱かれがちである。樺島はこの点を認めつつも、文章として書く内容を自ら生み出すことができることも、文章表現力に含まれると指摘している(樺島1983)。何かを知りたいという動機があって、書物を読んだり、他人の話に耳を傾けようとする。同じように、他人に伝えたいことがあるから、その内容を文章で表現したり、口頭で話そうとするのである。文章をコミュニケーションのためのものと考える樺島にとって、読み手と同様に内容も意識するというのは、当然のことと言える。
書きたいと思うことがあっても、いざ書こうとすると、うまく言葉で表せないことがある。もちろん、これは純粋な表現力に問題があることもある。しかし、樺島はこれに加えて、書きたいことが頭の中にあっても、それが整理されていない漠然としたものであるがために、表現することができないのだと指摘する。樺島(1973)は、文章を書くに先だって、この漠然とした内容を明確化することが必要であると述べている。

つづく。

参考文献

文章構成法 (講談社現代新書)

文章構成法 (講談社現代新書)