持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

言語教育におけるtranslationとその周辺(その5)

実例の検討

まずは川端康成の『雪国』の冒頭を引用する。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

伊藤(1999)が言うように、この文を読んで意味不明と感じる日本語母語話者は皆無であろう。しかし、この表現を英語のように分析的に捉え直そうとすると、いろいろと不都合が出てくる。まず、「抜けた」のは何、あるいは誰なのであろうか。中島(1987)はトンネルを抜けたのは汽車であろうと述べているが、伊藤(1999)はこの主語が「汽車」である可能性と主人公である可能性に言及している。いずれにしても「日本人にとっては「何が抜けた」かわからなくても理解に支障はない」(伊藤1999: 8)のである。松井(1979)は日本語には主客未分化の表現が豊富であることを指摘しているが、川端のこの文も主客未分化の例といえる。「雪国であった」という箇所も「主語+述語動詞」という分析的表現で捉えようとする英語とは異なった発想が垣間見える。
この文に対応するサイデンステッカーの英訳を引用する。

The train came out of the long tunnel into the snow country.

この英文ではThe trainが主語となっている。主語がない英文というのは原則あり得ないためこのような構文をあえて選択したのであろう。そしてこの英語表現は、主客未分化の日本語とは異なり主体としてのThe trainを強く意識した表現になっている。
「雪国であった」に対応する英訳はinto the snow countryとなっている。前置詞は目的語を取ることから「小動詞」と呼ばれることがある(中野2012: 106)。日英語を比較対照する際に、日本語の助詞を英語の前置詞との対応から「後置詞」と呼ぶことがある。しかし、田中(1997)も指摘するように、日本語の助詞と英語の前置詞との関係は単なる語順の違いではない。むしろ「日本語に英語の前置詞に対応する語がないだけでなく、空間関係を捉える際に日英語では表現の仕方に違いがある」(田中他2006: 39)と捉えるべきである。とりわけ日本語では移動動作と同時的連関する様態をそれぞれ動詞で表す傾向があるのに対し、英語では動詞と前置詞の組み合わせにより表現する傾向がある。田中(1997)から類例を挙げる。

He ran across the road.
彼は道路を走って横切った

主客未分化の日本語表現の例としては、安藤(1986)の挙げている例も興味深い。

Spring has come.
春になった。

英語の文の主語はSpringであるが、日本語の文には主語がない。何が春になったのかよくわからないが、この表現で日本語母語話者が混乱することはほとんどないのである。このあたりも「誰か(何か)が何かをする」という行為を際立たせて表現する傾向のある英語と、行為者を表面に出さずに自然の成り行きでそうなると表現する傾向のある日本語との違いを示す好例であるといえる。

(続く)

参考文献

  • 安藤貞雄(1986)『英語の論理・日本語の論理』大修館書店
  • 伊藤、ケリー(1999)『書きたいことが書けるライティング術』研究社
  • 松井恵美(1979)『英作文における日本人的誤り』大修館書店
  • 中島文雄(1987)『日本語の構造−英語との対比−』岩波書店
  • 中野清治(2012)『学校英文法プラス』開拓社
  • 田中茂範(1997)「空間表現の意味・機能」田中茂範・松本曜『空間と移動の表現』(日英語比較選書6)研究社出版
  • 田中茂範・佐藤芳明・阿部一(2006)『英語感覚が身につく実践的指導』大修館書店