持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

なぜ基礎から逃れるのか

『考える英文法』と『英文法教室』

本書は、高等学校二三年生以上の学生、その他英語に興味を持つ一般の人々を対象に書かれたものである。
これらの方々は、相当程度英語の読解力を持ち、また、かなりの英文法の知識を持ち合わせている。(吉川1976:3)
本書は通常の文法書と異なる構成を持っているが、一方読者がすでに高校教科書程度の知識は一通り身につけていることを前提にしているので、(略)(伊藤1979:vi)

上に引用したのは、名著と呼ばれる文法参考書のはしがきである。確かに著者の豊富な知識を踏まえた、学習者への配慮が随所に感じられる。しかし、いずれの参考書も一通りの文法知識を身につけた学習者を読者として想定している。これだけの参考書を書くことができるのであれば、基礎から掘り下げたものを作り上げることも可能であるようにも思える。なぜ彼らは基礎を放棄したのであろうか。

伝統文法の限界

松田(1973)は、文法指導の視点から伝統文法の優位性を論じている。この中で松田は「伝統文法は、頭のいい人の理解にまつところの多いヒント集である。」(松田1973:6)と述べている。文法指導は主に中等教育で行われるもので、6年間の中等教育のうちの前半3年間は義務教育となっている。にもかかわらず、頭のいい人専用の学習文法とはどういうことなのか。
松田は理論文法と同程度の明示性を学習文法が確保することに対して懐疑的である。確かに近年の生成文法が持つような精緻さを学習文法が持つ必要はない。だが、現状の学校文法よりも明示性を高めて1人でも多くの学習者が文法知識を自分のものにして、言語活動に役立てるようにするのが教師の役目ではなかろうか。
伊藤は生成文法を学習文法に持ち込むことに対しては否定的であった。確かに生成文法などの理論文法は学習文法とは異質のものである。しかし、学習文法が言語習得や言語運用を促進させるという本来の目的を果たすためには、ときに理論文法の知見も必要に応じて援用していくことも必要である*1

参考文献

  • 伊藤和夫(1979)『英文法教室』研究社出版
  • 松田徳一郎(1973)「伝統文法の再評価−文法指導の視点」『現代英語教育』10(2) pp.4-6.
  • 吉川美夫(1976)『考える英文法』文建書房.

英文法教室

英文法教室

考える英文法

考える英文法

*1:予備校の現場などで、大学院で理論言語学を研究していた人が講師として教壇に立つことがある。このときのスタンスは両極端で、自らの専門知識を封印して旧来の学校文法を教えている場合と専門知識をむき出しにして「新しい英文法」を生徒に吹き込むかのいずれかである。もちろん、どちらも健全ではない。