持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

下線部和訳について

下線部和訳で問われるもの

大学入試などで見られる下線部和訳問題において、出題の意図とは一体何であろうか。伊藤(1983:v)は「原文の文法構造と単語の意味を理解していることを日本語に置き換えることによって示せ」というのが和訳問題の意図であると指摘している。伊藤の指摘によると和訳問題で問われているのは次の2点である。

  1. 原文の文法構造の理解
  2. 原文の語の理解

和訳問題の答案を作成することとは、この2点を日本語に置き換えることということになる。
これとは別の指摘もある。小菅(1997:27)は自ら教えている生徒に対して「述べられている内容をしっかりつかんで、(公式化された訳しパターンではなく)自然な分かりやすい日本語で表現することを目指せ」と話しているという。ただし小菅自身も大学側に「英文の構造を理解していることが分かる答案がよい」という考えがあることを認めている。これは予備校講師であった伊藤の指摘と重なる。
川本・井上(1997:ii)は、「受験用の翻訳に必要なのは、ごく表面的な意味の読み取りだけで、より深い意味の了解、読者個人が身をもってする了解は、どこかに棚上げされているのです」と指摘している。こうした指摘から分かるのは、英文和訳問題は原文の内容の理解度を試すわけでもなければ、訳文として書き上げた日本語の表現力を試すものでもないということである。

訳文から伝染する日本語

伊藤(1997)は、英語教育の目的の1つに日本語への自覚を深め、その能力を向上させることがあるということを指摘している。だが英文和訳問題の採点に関しては、単語レベルでは甘く統語レベル*1では厳しく、という方針を示している。伊藤は和訳に関して理想論を持ってはいるものの、予備校講師としていわば妥協点を採点基準としている。この結果、受験英語における和訳の日本語は次のような特徴を持つことが多い。

  1. 「主語−述語」、「修飾語−被修飾語」が極端に離れていて読みにくい
  2. 日本語の語彙の意味を取り違えている

これらは、伊藤の採点基準をすり抜けて、「合格答案」となる。修正の機会を失った日本語は、その使い手が社会に出るにつれて、「大卒社会人の日本語」として広まっていく。日本語社会では欧米と比べwriter's responsibilityという考え方が乏しい。このため、こうした悪しき日本語が流布した場合、負担は読み手にかかる。国語教育においても言語技術として文法や語彙を機会は提供されないため、英語教師が学習者の日本語のおかしさに気付かせなければならない。
英語ができなければ英語を教えることはできない。しかし英文和訳は英語だけでなく、日本語もできなければ教えられないのである。*2

参考文献

*1:伊藤はシンタクスを「構文」と呼ぶが、「構文」の用語は教師や研究者のあいだでもさまざま用い方をするのでここでは「統語」とした。なお、持田自身は教室では「語順」や「語順を支える規則」という言い方をしている。

*2:教室で和訳を行う場合は下線部のような部分訳ではなく、全文和訳が望ましいと言える。詳細はこちらを参照のこと。授業で1文ずつ指名するやり方だと当てられた部分しか訳さないことが多いので、全文を訳させるような配慮が必要である