持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

学習文法のグランドデザイン⑦

形式と意味の対応

言語習得は言語形式と意味とのマッピングであり、コミュニケーションの前提となる意味作用もまた、シニフィアン(=形式)とシニフィエ(=意味)の結合の過程を含む。このため言語習得・言語運用を対象とする応用言語学の一部をなす学習文法の記述においては言語形式と意味との対応づけが不可欠である。
Jackendoff(1983, 1990)の概念意味論(Conceptual Semantics)は外部世界の心的表象と言語形式との対応を扱う、認知的な理論である。概念意味論は心的表象を扱うという点では認知意味論と共通するが、統語論の自律性を仮定している点で認知意味論と異なる。Jackendoffが統語論を自律的に捉えるのは、その方が厳密な定式化が可能であると考えているからである。したがってJackendoffは文法の組織を、「音韻構造」(phonological structure)、「統語構造」(syntactic structure)、「概念構造」(conceptual structure)の3つのレベルで構成するものとして捉えている。そしてJackendoff(1987)では言語処理を音声と意味とをこの3つのレベルを介して写像する過程と仮定している。
こうしたJackendoffの一連の研究は、生成文法における解釈意味論の延長線上にあるものではある。しかし生成文法の他の研究と比べて意味論に本格的に取り組んでおり、概念構造は文型や語法の記述を見直していく上で非常に示唆的である。そして何よりもJackendoffが仮定している言語処理過程が、コミュニケーションの過程からかけ離れたものではないために、学習文法に援用しやすいと言える。

学習文法における統語論の自律性

第二言語習得では、学習者の注意を言語形式に適宜向けさせることによって習得を促進すると考えられている。このことはRutherford(1987)が指摘するように、意味的な動機付けだけでは習得できない言語形式が存在することを意味する。したがって学習文法においてもある程度の統語論の自律性を認める必要がある。寺島(2000)は言語類型論的な分析から「固定した語順」と「よく発達している前置詞の体系」を英語の特徴と捉え、これを教えなければならないと主張する。
ある程度の統語論の自律性を認めるにしても、すべての統語現象を意味と無関係な規則によって提示することは好ましくない。統語規則は学習者の脳内に内在化させる必要があるが、内在化に際して丸暗記を強制するような事態は避けなければならない。こうした事態を避けるためには、統語現象の説明に意味論的な裏付けを加えることが必要である。特に日本語と英語で差異の少ない普遍的な概念に関しては、この概念を介した文法の記述・提示が有効である。

  • 日本語の形式⇔概念1
  • 英 語の形式⇔概念2

上の図において、日本語の形式と英語の形式が異質なものであることは明らかである。しかし日本語の形式が表す概念1と英語の形式が表す概念2は同一であったり、非常に類似したものであることがある。日本語を利用した英語学習がある程度の効果が上がるのはこのためである。Jackendoffの研究や中右(1994)の研究はその意味で大変有効である。同じ概念を表すのに日本語と英語では形式を異にするということを説明するには形式と意味の対応付けが不可欠であるが、この場合には統語論と意味論がそれぞれ自律したものと仮定した上で意味論の充実した理論を援用しなければならないからである。
Wierzbicka(1988)が指摘するように、個別言語の文法形式が表す意味はその言語に固有のものであることもあれば、あらゆる言語に普遍的なものある。前者に切り込んでいく場合には、統語論の自律を認めない理論の分析のほうが現状では優れていると言える。このためLakoff(1987)などの認知意味論の知見も積極的に援用していくことが求められる。
また学習者の「なぜそうなるのか?」という疑問に応え、学習者の感覚に訴えていくことを可能にしていくには認知意味論や認知文法論の知見が貢献すると思われる。この場合、人間が外部世界を主体的に解釈していく認知プロセスから言語表現を規定していくという姿勢がより明確に打ち出されている理論、すなわち統語論、そして言語知識のモジュール性を否定する立場に立つ理論に負うところが大きいと言えよう。

参考文献

  • Jackendoff, R. (1983) Semantics and Cognition. Cambridge, MA: MIT Press.
  • Jackendoff, R. (1987) Consciousness and the Computational Mind. Cambridge, MA: MIT Press.
  • Jackendoff, R. (1990) Semantic Structures. Cambridge, MA: MIT Press.
  • Lakoff, G. (1987) Woman, Fire, and Dangerous Things. Chicago: The University of Chicago Press.
  • 中右実(1994)『認知意味論の原理』大修館書店.
  • Rutherford, W. E. (1987) Second Language Grammar: Learning and Teaching. London: Longman
  • 寺島隆吉(2000)『英語にとって「文法」とは何か?』あすなろ社.
  • Wierzbicka, A. (1988) Semantics of Grammar. Amsterdam: John Benjamin.
  • 山梨正明(2000)『認知言語学原理』くろしお出版