持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

学習文法における、意味理解のための表示レベル

訳読の弊害を取り除く仕組み

英語学習、とりわけ読解学習では、母語である日本語に訳すという作業が現在でも行われることが多い。特に初学者がある程度の難度の英文を読む場合はこの過程は避けられないと思われる。しかし、訳読では英語表現を日本語表現に置き換えることに終始してしまい、英文の意味を理解するという本来の目的が果たされないことも少なくない。このため、文の意味を何らかの形で、学習者の目に見える形で示すことができれば、英語から日本語への機械的な置き換えから脱却し、高梨・卯城(2000)が言うところの「直読直解」を容易に実現することができるのではなかろうか。
文構造の理解のために生成文法の知見を援用する場合、ここでいう意味理解の表示レベルとして深層構造を応用しようと考えがちであるが、すでに述べたように深層構造は意味表示ではなく、純粋な統語構造である。Lakoff and Ross(1976)の議論からも分かるとおり、深層構造を設定するかどうかという問題は便宜的なものであり、少なくとも言語直観の観点から見てあった方が意味理解の助けになるというような類のものではない。

意味理解のための表示レベル*1

文の意味を理解する助けとなるような表示レベルは、理論的な位置づけで言えば生成意味論における意味表示(Semantic Representation)を援用することが有効であるように思われる。しかし、現実の語彙とは異なる原始述語による構造から複雑な変形操作を経て統語構造に写像するという過程は、学習文法にそのまま持ち込めるものとは言い難い。もっとも、意味表示から統語構造に写像するという考え方自体は素朴で分かりやすいので、これをより理解しやすいものにしていけばよく、そのためには生成意味論以外の言語理論に目を向けていくことが必要になる。
Lakoff(1987)は認知文法(Cognitive Grammar)を生成意味論の延長線上で捉えている。認知文法や認知意味論(Cognitive Semantics)と呼ばれる言語理論が学習文法の再構築に有効であることは確かであるが、文法現象のすべてをこの枠組みで学習者に提示するのには無理がある。というのは、意味という本来は目で見ることができないものは、直感的に納得できる形で学習者に提示できない限り、かえって学習者を混乱させるだけだからである。認知意味論の英語教育への応用が、学習文法ではなく語彙習得の領域から始められたのも、そうした事情によるものである。
一方、Jackendoff(1997)は、統語論だけでなく、音韻論や意味論も生成的であるというモデルを考えている。生成意味論や認知意味論が統語論と意味論を統一的に扱おうとするのに対して、Jackendoffの理論では両者を自律的なモジュールであることを認めつつも、対等のシステムとして捉えている。この考え方をヒントに学習文法を考えた場合、統語論統語論の規則で捉え、意味論は意味論の規則で捉えていくという方法があり得るということになる。(続く)

参考文献

  • Jackendoff, R. (1997) The Architecture of the Language Faculty. Cambridge, MA: The MIT Press.
  • Lakoff, G. (1987) Woman, Fire, and Dangerous Things. Chocago: The University of Chicago Press.
  • Lakoff, G. and Ross, J. R. (1976) "Is Deep Structure Necessary?" McCawley, J. D. ed. Syntax and Semantics 7. New York: Academic Press. pp.159-164.
  • 高梨庸雄・卯城祐司(2000)『英語リーディング事典』研究社出版

The Architecture of the Language Faculty (Linguistic Inquiry Monographs)

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Women, Fire, and Dangerous Things

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認知意味論: 言語から見た人間の心

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英語リーディング事典

英語リーディング事典

*1:この辺りの議論の前提はこちらで扱っています。この前提無しにハードコアな言語理論の研究をされている方がご覧になると意味不明かと思われるので・・・