持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

帰納的文法教育における発見学習

文法教育と発見学習

帰納的な文法教育とは学習者中心の文法教育である。桑原(2010)は、単元学習の立場を学問体系を教科の知識として教師が学習者に教え込むのではなく、学習者の側から学習者の生活を見据えながら学習活動の組織・指導を行う立場であるとしている。これを国語科教育を例に考えると、文法教育では教師が国語学の体系を背後にもつ国文法の知識を学習者に教え込むのではなく、学習者の言語生活を見据えながら学習者が文法を感じ取り、文法について考えることができるような指導を行うということになる。
このような帰納的な文法教育は、その方法論として発見学習を利用することができる。発見学習とは、ブルーナー(1963)が提唱した教授法で、「学習者がすでにできあがった知識体系を学ぶのではなくて、知識が生成されるプロセスに参加し、規則性、法則、関連性などを自ら発見していく学習法」(谷川2002: 170)である。発見学習ではすでにできあがった知識体系を教師が学習者に提示し、解説していくという方法ではなく、学習者がそうした知識を発見していく過程を重視するものである。発見学習でいう「発見」とは、科学上の発見のような「原発見」ではなく、大人から見れば「再発見」である。すでに発見されている既知の知識を「教育的に修正し、単純化した上で」(谷川2002: 171)、そうした知識を発見していくのである。文法教育において「原発見」は文法研究の成果であり、それを教育的に修正・単純化したものが教育文法であり、Dirven(1990)のいうTeaching grammarであり、馬場(1992)のいう文法の明示的知識である。学習者による「再発見」のプロセスが馬場のいう文法学習となる。発見学習には教師がまったく方向づけを行わずに学習者の自然な発見に委ねる「純粋発見学習」と、教師がある程度の方向づけを行って学習者の発見のプロセスを促す「誘導的発見学習」とがある。現実的には純粋発見学習は困難である場合が多く、教師による何らかの方向づけが行われるのがふつうである。誘導的な発見学習を行う場合は、どの場面でどのような方向づけを教師が行うかが重要である(杉原2004)。
発見学習ではまず、学習者が問題意識を持って具体的事実を観察することから始まる(杉原1997)。このときに学習者は発見すべきものは何かを把握する。文法学習に即して言うと、「学習者は自らの言語意識を題材として、言語学習を進める」(森2004: 63)ことが問題意識を持つことになる。ここでは、いかにして具体的な生活場面にある言語事実を学習材として提示できるかが重要になってくる。次に学習者は、与えられた現象の観察や資料から仮説を立てていく。この「仮説」は、直観的な思考から生まれた漠然とした予想から、論理的背景や一般性をもった仮説のレベルまでさまざまなものがある。文法学習ではここで学習者は自らの言語認識をメタ認知し、メタ言語能力を働かせることになる。仮説を立てたあとは仮説を検証する段階になる。森(2004)は学習者の言語認識を学級集団のなかディスカッションし、その過程で言語に対する認識を深めていくことを提案している。ディスカッションを行うためには文法への「気づき」を言語化することが必要になる。これも帰納的な文法学習には必要なことであり、なぜその仮説が正しいかという理由を、学習者が自分なりに論理的に説明できるようにすることが求められる。

発見学習における教師の役割

発見学習における教師の役割は、すでに述べたように、どの場面でどのような方向づけを教師が行うかである。帰納的な文法教育における教師のこうした役割について森(2004)が詳述している。学習者が言語事実から文法体系をメタ認知し、ディスカッションによって文法を帰納的に学んでいくとき、メタ認知がうまくいかないこともあるだろうし、個人レベルのメタ認知ができたとしてもクラスレベルではディスカッションがうまくいかずに膠着状態に陥ることもあるかもしれない。このときに教師が支援者として新たな言語事実を提示することによって学習者に新たな視点を与え、議論を活性化させていくことが必要であると森は述べている。森はまた、学習者の議論が偏った方向に進んだ場合も同様の解決策によって教師が支援すべきであると述べている。さらに、ディスカッションが成立するような授業展開ためには、谷川(2002)が指摘するように、教師が学習カウンセリングの技法や姿勢を持ち、学習者の考えを受容し共感する気持ちを持つことが大切である。
発見学習によって発見した法則や原理や概念は、より高次な問題場面に適用することで、その有効性や適用限界を学習者が見定めることができるようになる。このときに他の既習・未習事項と関連づけることにより学習内容がより包括的に統合される(杉原1997)。持田(2012)では、この方法で身につけた古典語や現代語の文法知識を適用する場として、「訳読」を国語科の学習に導入することを提案している。これは「訳読」によってさらに日本語の文法知識を活性化させて言語生活に生かしていこうとする見通しの中で構想したものである。

参考文献

  • Dirven, R. (1990) "Pedagogical Grammar." Language Teaching. 23(1) pp.1-18.
  • 桑原隆(2010)「単元学習の思想」日本国語教育学会『豊かな言語活動が拓く国語単元学習の創造?理論編』東洋館出版社
  • 杉原一昭(1997)「発見学習法」『学校教育研究所年報』41 pp.55-63
  • 杉原一昭(2004)「発見学習か受容学習か」『学校教育研究所年報』48 pp.26-34
  • 谷川幸雄(2002)「発見学習の基礎理論と実際」『北海道浅井学園大学生涯学習システム学部研究紀要』2 pp.169-185
  • 馬場哲生(1992)「学習文法とは何か」金谷憲(編著)『学習文法論』河源社
  • ブルーナー, J, S. (1963)『教育の過程』(鈴木祥蔵・佐藤三郎訳)岩波書店
  • 持田哲郎(2012)「メタ言語能力を育む文法教育:古典テキストの訳読で育む現代語の力」早稲田大学大学院教育学研究科修士論文
  • 森篤嗣(2004)『学校文法拡張論−インダクティブ・アプローチに基づく文法教育の再構築』大阪外国語大学博士論文.