持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

うそっぽい学力

テストが大事?

「テストに出ますか?」と生徒に聞かれたら、「知るかボケ!」と返したいのが本音である。テストがそんなに大事なのだろうか。もともと勉強する気がないなら高校なんか来なければいいのにと思う。定期試験というのは普通に授業を受けていれば解ける問題しか出さないのだから、出るか出ないかを気にすることがおかしいのだ。ふだん勉強してもいないのに、試験前にだけ勉強して得点を上げようとする生徒も多い。そんなうそっぽい学力がそんなに大事なのだろうか。
私自身は試験勉強が嫌いだった。実力以上の分不相応な成績で己を粉飾するのが嫌だった。一夜漬けなんてほとんどやっていない。やったとしても「朝漬け」程度である。ならばふだんしっかり勉強したのだろうとお考えの方もあろうが、ふだんも大して勉強していなかった。中学時代はテストに出るものをしっかりやる生徒だったと思う。でもそれが高校進学後にも通用するものではないことがすぐに分かり、試験勉強がいかに不毛なものかを悟った。その後は、どの科目をどのように勉強したらいいのかが分からぬまま、だらだらと高校生活を送っていた。

「そのまま出る」の恐怖

中学時代に、国語のワークブックというものがあった。当時の担当教師はワークからそのまま出るから覚えておけば点が取れると言っていた。私はそれに従った。確かに点は取れた。だがそれは、大学受験の時に偏差値35をたたき出すに至る、負のスパイラルの始まりであった。テクスト理解という、国語の学習活動の中心にあるべきものが、私の「学習」から完全に抜け落ちてしまったのだ。高校に入って国語の授業で黒板に書かれたものをノートに写しても、どうしてそのような理解になるのかがさっぱり分からなかった。結局、この状況から脱却できたのは大学に入ってからであった。
勉強の仕方というものを掴むヒントをもたらしてくれたのは、定期考査の心配をしなくていい立場である予備校講師であった。私が今回大学院に行くために仕事量を減らす際に、高校を辞めて予備校講師としての仕事を残したのは、自分自身のこうした経験によるところが大きい。もっとも、中学や高校でもう少し違った方針の教師に出会えていたら、状況は違っていたのかもしれないし、国語教育を研究しようなどと思わずに、普通に中学か高校で英語を教えていたかもしれない。これもまた人生というものだろうか。