持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

受験対策に問題演習の愚

受験英語にもクラッシェンの波

以前にも書いたが、受験英語ナチュラルメソッドの時代なのだ。入試問題が解けるようになるには入試問題をたくさん解けばよいというのだ。このため、入試問題の演習開始時期が繰り上げられ、高校低学年のうちから問題演習づけとなるのが一般的となっているようだ。教師の役目は答え合わせと発破掛けである。つまり、facilitatorなのだ*1。検定教科書を使用するのは夏休み前までで、あとは入試問題を編集した教材をひたすら解かせまくるのだ。まだ「英語I」や「英語II」は形だけでも使用されるからよい。「ライティング」は生徒に買わせておいて実際には使わない。「リーディング」に至っては科目名だけで、教科書を使わないケースが多い。

受験英語ではない受験英語

しかし、問題漬けでよいのだろうか。入試問題を解けるようになることを目標に据えることと、ふだんの学習活動で入試問題を解く必要があるかどうかは次元を異にする。そう考えれば、教科書を使った授業でも十分に入試に対応できる。教科書では足りないならば、生の英語の文章を、新聞雑誌の記事でも、単行本の一節でも使えばいいのだと思う。いや、そんなに高尚なことでなくてもいい。J-POP、たとえばMISIALOVE PSYCHEDELICOの歌詞に出てくる英語動詞singの用法から、CarpentersKylie Minogueの歌詞の比較に進み、前置詞toとforの異同に気付かせたりすることだってできるのだ*2
まずは、教科書を使い込むことから始めたい。私が「進学校」と称される高校の教壇に立とうと思ったのは、学校の授業ならではの受験指導が可能ではないかと思ったからである。だが現実は違った。予備校のほうがずっと地に足の着いた受験指導をしている。習熟度別クラスというものも幻想である。成績上位層に対する授業の効率化を図ることがその目的となっており、下位層に対する配慮が十分でないことが多い。私がやりたいのは、このレベルの生徒にしっかりとことばの力を培うことができるような授業で、それが受験英語の基礎となるようにしたいのだが、どうも、これを先に実現できるのは高校ではなく、予備校のようである。

*1:よく言えば、のはなしである。

*2:これは、どちらかというと国語教育、早稲田大学の町田守弘先生のいう「境界線上の教材」という考えから着想を得た。