持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

理論と技術

授業アンケート

予備校の授業では授業アンケートが付きものである。今年から出講している予備校では初年度ということで、打ち出されたデータの見方やその後の授業への反映のさせ方などを、学務担当の職員から説明していただいた。昔教えていた予備校では講師には集計結果をいっさい見せなかったところもあったので、アンケートの運用の仕方もいろいろである。
予備校慣れしている浪人生はアンケートの評価が相対的になりがちなのに対して、高校1・2年生の場合は他予備校や他講師との比較をするほどの授業経験がないので絶対評価になりやすい。それと同時に通っている高校によって同じ授業を良いと見るか良くないと見るかが別れることも多い。こちらもこの予備校の「流儀」を掴めていなかったので様子見的に授業を進めていたので、掛け値無しの評価が出たと言っても良い。

自由回答のコメント

自由解答欄に寄せられたコメントを職員に見せていただいた。するとおおむね好意的な内容であった。私は50分3コマの授業のうち、最初の1コマをその週に扱う文法項目の導入に充てるのだが、これが非常に好評価をもらうこととなった。2コマ目が文法問題の解説で、3コマ目が英文解釈的な読解文法としてのアプローチによる解説なのだが、この最後の部分にもう少し時間を割いて欲しいというコメントもあった。おそらくこの生徒たちが総合評価を低めに付けているのであろう。文法概念を解説されて理解したら、それを実際の言語運用にどう生かしていくのか。その部分も同じくらい重要なのは承知している。これは時間配分を練り直すべきところである。

板書のこと

板書への評価は自分で言うのも恐縮だが、非常に良かった。だが、過ぎたるは及ばざるがごとし、なのかもしれない。先週校内テストの解説授業があり、そこにはふだん私が担当しているクラス以外の生徒もいた。授業後に回収したアンケートを見せてもらうと、彼らは「板書が多い」というコメントを残している。総合評価との絡みからネガティブな意味でのコメントであることはすぐに分かった。板書をノートに書き写すだけで英語ができるわけではないが、板書を取るのも面倒に感じている生徒が少なからず存在するのだ。
某予備校では、板書にすべき情報をテキストに盛り込み、「おみやげ」とすることで人気を博している講師が多いと聞く。私も公務員講座ではプリント*1として配布していたが、これは大卒程度の公務員試験の教養試験対策という性質上、受講生の学力差に対応するために授業で講義しきれない内容を紙面に逃がすという考えに基づくものである。高校生の場合は、そうした言語知識を1つ1つ噛みしめながら血肉化していかなければならない。そのためには板書を書き写すという作業も決して無駄なことではない。これによってawareness-raisingが促進されると言っても良い。

板書か、プリントか

このバランスが、今後の授業の課題である。実は、この「導入」の部分は、私の場合予備校の授業では普通にやっているが、高校の授業では一部の例外を除いてやらないことにしている*2。このため、板書かプリントかというのは、予備校の授業特有の問題であると、私自身は認識している。プリントによって捻出した時間を英文解釈につぎ込めると考えれば、しっかりと考えていくべき課題である。

*1:これをLECでは「板書」と称していた。

*2:ゆとり世代の若い教師と組んでやるときには無理な話である。予備校授業は航空ダイヤであるが、高校授業は鉄道ダイヤなのだ。前者は個別に機材に合わせたダイヤになるが、後者は共通運用される車両のうちもっとも性能の低い車両に合わせたダイヤとなっている。