持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

「異質な授業」

生徒の感想から

非常勤講師として今の高校の教壇*1に立つようになって1か月ちょっと経過した。私の授業は、生徒にとってはいい意味でやや異質なようである。「予備校の授業みたい」と生徒に言われたことがある。これは予備校の教歴のほうが長いのだから、当然だろう。それに、設問付きの入試問題を寄せ集めた教材で授業している以上、予備校みたいにならないほうがめずらしい。

「授業の型ありき」の授業

なぜ異質なのか。それは授業の型をアプリオリに考えてはいないからだろう。かつて若林俊輔氏が「教わったように教えない」という趣旨の発言をどこかでしていた記憶がある。これは名言だと思う。自分が教わったときの型、あるいは大学の英語科教育法で教わった授業の型を絶対視して、授業がマンネリ化してしまっていることが現場では多いのかもしれない。そうではなく、生徒に何ができるようにしてあげたいかを考え、そのためにはどのような授業をやっていけばよいのか検討していくというスタンスが必要ではないだろうか*2
私がこうした問題を考えるようになったのは、何かの専門書を読んだからでも、大学受験予備校の講師をしたからでもない。公務員試験対策の講義を担当したことがきっかけであった。少ないコマ数の中で試験の出題傾向、問題の解法、解法を身につけるための学習法など、重要な学習情報を精選して提示していかなければならない。高校の授業は週に何コマも設定され、じっくり生徒と向き合った指導ができる。だがその反面、コマ数の多さから指導の全体像が見えにくくなっている。あらゆるコマ数で授業の組み立てということを意識するようになった結果、高校専業の先生方の授業とは異質なものが醸成されたのだろう。
もっとも、この点は私の個人的な強みであって、1つの校種でしか教えたことがない教師が劣っているとは思わない。教師ひとりひとりの持ち味というのは十人十色であり、甲乙付けがたいものが多い。私などは、ベテランの女性教師のもつ、地味だが文法解説にせよ和訳や内容解説にせよ、ひと言ひと言言葉を選んで生徒に語りかけていくような授業に憧れる。だが、逆立ちしても真似できないようにも思えるのだ。だから、異質でもいい。自分と生徒が納得できる授業作りを心掛けていけばよいのだと思う。

*1:この学校には、実は教壇がない。小柄な先生方は板書に困っているらしい。

*2:このあたりは中学校の先生方のほうが斬新な取り組みをしているような気がする。