持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

閑話休題:なぜ日本語なのか

講師室でのよくある会話から

「英語以前に日本語ができていない」ということをよく耳にする。はじめはこちらも同調して「まったくだ」とも思ったが、次第に考えが変わってきた。責任転嫁ではないかだと思ったからだ。日本語を介さずに、すべて英語だけで授業をするならまだしも、受験指導では日本語で授業をするのが一般的である。そうであれば、英語学習の基盤となる日本語の知識を身につけされるのも、ある程度、英語講師の仕事ではないかと考えるようになった。

日本語研究への関心

安藤(1983)は、「母語における言語的直観を他国語の勉強に利用しないのはばかげている」(325-326)と言っている。その安藤が日英語対照研究のために英語教師に紹介している書目は、佐久間鼎、三上章、時枝誠記、久野翮、柴谷方良などの著作であった。英語を教える日本人が、教師・学習者の双方が母語とする日本語に関心を持つのは当然であり、日本語の研究書に目を通すのも当然であると考えるようになっていった。

自己陶酔型教師へのアンチテーゼ

大学2年の時、ドイツ語の講読の授業で、たいして文法語法の解説などをせず、和訳と内容の解説だけ行って、あとはその作品の内容にひとりで酔いしれている教師がいた。そのとき、「そういえば、古文の教師なんかにも、こういう人いたな」と思った。解釈だ鑑賞だと言ったところで、原文理解ができていなければ、それ以上の深読みはできないはずだ。好きで好きでたまらなくて、知らず知らずのうちに読めるようになった人には、読めない苦労が分からない。文学者による言語教育の限界がここにあるように思う*1。読めないものを読めるようになるには、言葉そのものに目を向けていく必要があるのではないか。だとすると、中学高校と得意科目であった英語よりも、偏差値35も叩きだした国語の方に、自分が果たすべき役割が大きいのではないか、とも考えるようになった。私が国語の領域で関われる範囲は限られているのだが、それでもできる範囲でなにか学習者に貢献できれば、と思っている。

参考文献

  • 安藤貞雄(1983)『英語教師の文法研究』大修館書店.

英語教師の文法研究 (英語教師叢書)

英語教師の文法研究 (英語教師叢書)

*1:ただし、詩歌に長じている人は別であるような気もする。