持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

「評論文」とは何か(その1)

受験国語と学校国語*1

受験国語、とりわけ受験現代文で取り上げられる文章は、「小説」と「評論」に二分されることが多い。学校教育においても、中学校の学習指導要領では文章を「文学的文章」と「説明的文章」に分類され、高等学校では「文学的文章」と「論理的文章」に分類される*2。いずれの分類規準も小説や詩とそれ以外の文章という程度のもので、いわゆる「評論文」というものがいかなるジャンルやパターンの文章を指しているのかがはっきりとしていない。

評論および評論文の定義

長谷川(1973)*3によると、評論を次のように定義している。

評論とは、ものごとの本質を見きわめて、その価値の有無とそのありかたや、また善悪などを批評して論ずる行為、およびその文章をいう。(長谷川1973:223)

長谷川はさらに、評論の特質として次の4点を指摘している。

  1. 論者に一定の価値基準があることが前提となる。
  2. 論者の持つ価値基準に基づく価値判断が根底にある。
  3. 論旨が主題によって統御されている。
  4. 論旨の展開は概して論理的であって、論理構造は明晰である。(長谷川1973:223)

これらのうち、1.と2.は評論という行為に由来する内容面における特質であり、3.と4.は評論文という形式面における特質である。

評論のタイプ

評論は批評の態度や方法によって分類できる。ここに長谷川による分類を挙げる。

  1. 客観的評論(=論説的評論)
    1. 裁断的評論(一定の原理や基準が先行してそれに基づいて判定する)
    2. 帰納的評論(現象の分析から出発して結論として方向づけを行う)
  2. 主観的評論(=随想的評論)
    1. 印象的評論(自己の主観的印象を重視する)
    2. 鑑賞的評論(印象的評論の独断と偏見を排し、観照による客観性を加味する)

途中ですが、次回に続きます。

参考文献

  • 長谷川泉(1973)「文学の文章 評論」『国文学』18(12) pp.223-228.

*1:「学校国語」という呼称が一般的かどうかは分からないが、学校で教える国語ということ。もっとも学校教育以外で「国語」が成立するのかという根本的な疑問は残るが。。。

*2:「説明的文章」が知らないうちに「論理的文章」にバージョンアップしてるのが不可解ではある。指導要領ではこのほかに「実用的文章」という第3のカテゴリーが建てられている。ここも「実用」と「非実用」の境目が知りたいところである。

*3:この記事は、実は「文学の文章」という記事の一部をなしている。