持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

《My Applied Linguistics》を取り巻く環境⑤

「原理なき英語教育」

大津(2005)*1では英語教育の現状を「原理なき英語教育」と呼んで改善策を提案している。大津がこう呼ぶのは次のような理由による。

  • (学校)英語教育が何をやろうとしているのか分からない。
  • 英語教育の目的が不明瞭である。
  • 英語教育の目標が不明瞭である。

そしてこれまでの英語教育政策には母語教育*2と外国語教育を統一的に捉え、子どもの心的発達を支援していくという視点が欠けており、今後はそのような視点に立った教育が行われるべきだと主張している。
また音韻・形態・統語・意味の各領域の言語知識についても言語教育に十分な水準とは言えず、現代の言語学の知見を利用すべきであるという提案も行っている*3。大津は現状の「原理なき英語教育」の責任は、言語研究者の言語教育に対する無関心と言語教育関係者の言語教育に対する無関心にあると指摘している。

「言語研究者の言語教育に対する無関心」

大津(2005)では言語教育に関心を持つ言語研究者の例として安井稔を挙げている。実際、安井(1996)をはじめ英語教育への貢献は大きい。また岡田(2005)が述べているように、日本英語学会でも学習英文法の見直しに貢献していく動きが見られる。こうした動きによって言語教師にとって言語研究が身近に感じられるようになれば、より多くの教師が《My Applied Linguistics》を研究し、実践に活かせるようになるであろう。

「言語教育関係者の言語教育に対する無関心」

確かに言語研究者が言語教育に関心を持つようになることは歓迎すべきことではあるが、そうした動きを教師が受身で待ち続けるようなことがあってはならない。言語教育に携わる者が言語研究に関心を持つことが先である。《My Applied Linguistics》は教師自身がふだんの教育実践で感じている疑問や悩みを解決してくれる枠組みの1つである。自分が抱える問題を自ら理論を学び援用することで解決していくこと。これができるのは教師でしかなく、言語研究者ではない。

参考文献

  • 岡田伸夫(2005)「英文法研究の英文法教育への応用」『英語教育』54(4) pp.63-65.
  • 大津由紀雄(2005)「原理なき英語教育からの脱却を目指して」*4
  • 安井稔(1996)『改訂版英文法総覧』開拓社.

*1:私自身この発表を実際には聴いていないので、もしブログをご覧になっている方で当日参加された方がいらっしゃいましたら、補足していただければ幸いです。

*2:大津先生はこの言い方をしていますが、「国」の言語政策によって母語の教育を行うことで「母語」は「母国語」になります。

*3:これは一見するとこのブログで以前取り上げた『英語教育』での記事の内容と矛盾しているような印象を受けますが、①理論を十分に理解して上であれば大いに利用すべきであるが、②十分な理解のないままでの安易な利用は慎むべきであるということと認識しています。

*4:これは大津先生が発表用に使用されたハンドアウトのようですが、すでに先生のサイトから削除されており、ご覧になることができません。