持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

《My Applied Linguistics》を取り巻く環境・番外編

「カリスマ」と「バイブル」

今回は理論面での話ではなく、心構えのような話をします。理論面ではないのでですます調です。
すでに述べたように《My Applied Linguistics》という考え方のもとでは、教師(または学習者)が自らの目的を達成させるために、言い換えれば自らの問題解決のために必要な理論を援用し、ときには自ら理論を構築していくことになります。この場合もっとも大切なのは「自分は何をしたいのか」という目的意識です。この目的意識がなければ、専門的な理論を学ぶことも意味をなさないのです。
世の中には影響力の大きい人物や書物があります。それらをそれぞれ「カリスマ」「バイブル」と呼ぶことがあります。「カリスマ」の意見に耳を傾け、「バイブル」に目を通すこと自体はすばらしいことだと思います。「カリスマ」や「バイブル」になるには、それなりに理由があるからです。しかし「カリスマ」以外の意見に耳を傾けず、「バイブル」以外の知識や情報から目を背けるようなことがあってはいけません。「自分は何をしたいのか」という目的を達成させるためには何が必要なのかということを絶えず意識しなければなりません。そのためには知識や情報の収集に関して冷静になる必要があります。逆に言えば聴き手・読み手を盲目的にさせてしまうこともまた、「カリスマ」や「バイブル」の魅力であるわけです。

「情」に流されないこと

恩師や先輩方から受けた恩には感謝しなければなりません。しかしそうした方々と自分とは必ずしも同じ目的を持って仕事や研究に従事しているわけではないのですから、自ら主体的に考えて目的意識を持ち、それを実現する方法を考えなければなりません。例えば、『ダイナミック英文法』(阿部一著、研究社出版)と『実践コミュニケーション英文法』(阿部一・持田哲郎著、三修社)、または『発想の英文法』(田中茂範著、アルク)と『チャンク英文法』(田中茂範・佐藤芳明・河原清志著、コスモピア)をそれぞれ比べてみると分かると思いますが、いわゆる「師匠と弟子」のような関係であっても、「弟子」独自の考え方がしっかりと反映されています。特にこのブログをご覧の方で阿部先生に教わったことや先生の講演やワークショップに参加した経験のある方でしたら、私がこのブログで書いていることとの共通点と相違点に気付くことと思います。
このブログで展開していることを全面的に賛同していただく必要はありません。ときどきご覧になるのも結構ですし、毎日チェックしてくださっても構いません。ググってたまたま出てきたから読んでみるのでもいいのです。ご覧になるみなさんにとって、何らかの参考、ヒントになれば幸いと思って日々更新しております。

今後とも、よろしくお願いいたします。