持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

《My Applied Linguistics》を取り巻く環境⑥

Going-concern assumption

永続事業仮説(Going-concern assumption)という会計学の概念がある。これは企業は永遠に存続して終焉がないという仮説である。言語教育・言語学習においても学習者をそのように考える必要があるように思われる。もちろん学習者は生身の人間であるから、いつかはその生涯は終焉を迎える。ここで言いたいことは、学習者は過去に何らかの形で対象言語を学習した経験があり、その学習経験が何らかの形で現在の学習に影響を及ぼす可能性があるということを教師は心得ておくべきだということである。

「説明語」という概念

若林(1990)は英語の語順を次のように規定している。

《主語》+《動詞》+《説明語》

若林は「目的語」や「補語」の区別を避けるために「説明語」という用語を用いている。これは英文法をまったく教わったことがない学習者には有効である。しかし過去に「目的語」や「補語」という概念を学んだことがある学習者には混乱を招く可能性がある。この場合、学習者の頭のなかには「目的語」「補語」「説明語」の3つは同列に存在しているかもしれないのである。

パラグラフ・リーディングなど

過去に文法訳読法による授業に慣れてしまった学習者は、なかなかそこから抜け出せない。「読み飛ばす勇気」がないのである。1文ずつ全体を読むことになれている学習者にとってはすべてを読まないで終わらせる授業は物足りなく感じられ、文章全体の解説をしない教師は手抜きをしているのではないかと疑われることもあるかもしれない*1。あるいは学習者の好みで「構文派」「パラリー派」などとということを言い出すかもしれない。1つのクラスを複数の教師が担当してこのような事態になると、それは静かな学級崩壊の様相を呈す。

教師が萎える環境

上で挙げた2つの事例は教師が自らの授業をよりよいものに変えていく意欲を削ぎ、旧態依然とした指導を続ける要因となる。しかし、教師が楽をすればするほど生徒が苦労を強いられるということを忘れてはならない。少しずつ授業のあり方を見直すことが大切である。

参考文献

*1:もっとも最近よくある訳読は詳しい説明をしないで和訳だけを言っておしまいというものである。