持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

ミッション・ステートメントに代えて・・・

「専門バカ」との決別

授業のことばかり考えている人には授業はできない。
英語だけ勉強しても英語はできるようにならない。
研究のことばかり考えている人には研究はできない。

目的志向

授業には、教師、学習者(児童・生徒・学生)、教材など、さまざまな構成要素がある。そして授業は最終的な目標・目的に沿うような形で、シラバス、より大きな枠組みであるカリキュラムの仲に位置づけられる。人がことばを使えるようにする手助けを人が行う、そういう授業だから、目的意識を持たずにだらだらやっていても意味がない。だが目的意識を持つには、学習者がなぜ英語ができるようになりたいのかということを、こちら把握しなければならない。これは授業のために必要な情報であるが、授業だけを考えていても的確な把握ができない情報でもある。

媒体としての言語

英語に限らず、ことばとは何かを表現し、何かを理解するための手段である。だから表現・伝達するための「何か」がなければ、言語活動は成立しない。英字新聞が読めるようになりたいと言う人も多いが、日本語の新聞を読む習慣のない人には無理な話である。日本語でセ・リーグパ・リーグの記事すら読んだことがないのに、ア・リーグナ・リーグの英文記事が読めるはずがない。

問題解決:新しいブログの船出

以上のことを踏まえて、教師はもっと研究すべし、という結論にたどり着くのは容易である。だが、研究とはただ単に専門書や論文を読みあさっていればいいというものではない。教師であれば「よりよい授業のため」という目的があるのだが、その目的を果たすには何を知ればよいのか、そのためにはどのような方法で研究すればよいのか、ということを考えなければならない。
そんなときに研究のことばかり考えていてもダメ。ラングとは社会的産物であるといったソシュールではないが、言語生活とは社会生活の一部をなすものであるから、広い視野を常に持っていることが必要である。
そんな観点から、自分が思ったこと、感じたことを、これからここに書き綴って行きたいと思う。