持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

生成文法の「表示レベル」と学習文法

生成文法から学ぶこと

千葉(1982)は、英語教育が生成文法から学ぶことができることは大きく分けて2つあると述べている。1つは生成文法理論に見られる言語観に関する事柄であり、もう一つは生成文法理論の発展過程で明らかになった言語事実に関する事柄である。前者が英語教育にどれほど貢献するかに関しては賛否両論がある。ただ、少なくとも深層構造と表層構造の結びつきを文の理解・生成に役立てようとする試みがかつて見られたが、そこには言語能力と言語運用の区別を明確にする生成文法の言語観からの乖離が見られる。井川(1990)は、人間が持つ言語使用能力の解明を目指す理論言語学の知見の多くは言語学習に直接的に役立つものではないと述べている。言語理論の知見を英語教育に援用することに消極的な立場をとる研究者は、この辺りの事情に注目しているのである。
一方、有限の規則から無限の文を生み出す生成文法によって記述される言語事実は、それまでの文法よりも少ない道具立てで記述されるために、従来の文法に慣れた目には非分類的な見方をしているように見える。井川もこの点に着目しており、疑問節と関係節を統一的に捉える生成文法の知見が学習文法に応用できることを示唆している。井川は疑問詞と関係詞における統語的振る舞いの共通性を「wh-移動」の概念を用いて説明しているのだが、ここで一つ問題点が出てくる。

学習文法と痕跡理論

生成文法のwh-移動を学習文法に援用した場合、「痕跡」という概念を学習文法に持ち込むことが避けられなくなる。実際の発話とは異なる表示レベルは、できる限り学習文法に持ち込まない方が学習者の混乱を防ぐという観点からは望ましいと、一般には考えることができる。しかし、wh-語がもともとどの位置にあったのかを考えるということは、wh-語を伴わないより単純な構造の文と関連づけながらwh-節の構造に習熟できるので、うまく導入すれば益するところが大きいといえる。
生成文法に痕跡理論が組み込まれた頃には核文の概念は破棄され、疑問文と平叙文は別個のD構造から生成されると分析されるようになっていた。しかし、学習文法では痕跡をもつS構造は何らかの形で示すとしても、それを派生される「元の形」はD構造よりも核文の方が、学習者にとっては理解しやすいはずである。学習文法は折衷的といわれるが、学習文法に援用する生成文法もまた特定の枠組みをそのまま移植するのではなく、折衷的に援用することが求められていると言える。
だが、大学においては、生成文法は一般的にその時代に有力である理論的枠組みに基づいて教えられることが多い。したがって、大学で教わった知識だけでは学習文法にその知見を活かすことは困難であると言わざるを得ない。かつて標準理論における深層構造を学習文法に持ち込んでそれが「文の本当の意味」であるかのように扱ったのも、同時期に研究されていた格文法理論や生成意味論の知見に触れる機会がなかったことが背景にあったように思われる。

参考文献